Facebookの登場で個人力が問われるようになった。この流れはもう変えられない。
こんにちは。
シモサワです。
私の日課はFacebookのタイムラインのチェックから始まります。
起きてスグにスマホやパソコンを見るのって体に悪いんじゃないの?って思われそうですけど、起きてスグにテレビを見る、新聞を読むのと感覚は同じです。
最近のFacebookって、いろんな提案をしてくれますよね。
「◯年前に△がありましたね」みたいな投稿の振り返りがあったり、投稿前のタイムラインには「今どんな気持ち?」って問いかけがあったり。
こういう機能って、人としての交流の手助けをしてくれているなって感じます。
今日はFacebook誕生日から12年。
Facebookからちょっとした贈り物をもらいました。
いろんな方がシェアしていて見ている方もなんか楽しい。
見ていてふと思ったんですけど、このセレクトされている写真は「必ず誰かと写っている写真」なんですよね。
自撮りのみ、景色のみ、物体のみという写真が一つもない。
そして写真の様子は楽しそうな雰囲気のものばかり。
このセレクトの仕方ってすごいですよね。
顔認識精度が高いFacebookならではのことですし、顔認識だけではなく表情や寄せられたコメントから「楽しさ」を認識してますもんね。
Facebookのすごいところって、こういうところなんですよね〜。
Facebookの登場で個人力が問われるようになった。
そして、ある記事が目に止まりました。
今やソーシャルネットワークの顔ともいえるFacebook。
しかしその原型となったのは、まだハーバード大学の学生だったころの、マーク・ザッカーバーグの悪ふざけだったことを知っていますか?
もともとはお遊び道具として考えられたFacebook。
いまや、全世界の人々が使えるように成長し、そして時代に大きな影響を与えています。
世界規模で考えたり、経済効果のウンチクなんていうのは私には語れませんけど、Facebookによって個人が個人とつながりやすくなってきたということを日々実感しています。
ちょっと前までは「個人の力なんてちっぽけすぎて...どうにもならない。」みたいな風習がありましたけど、Facebookが浸透することでその風習はもういらないものになっています。
むしろ、個人の力がないと何も起こらない。何も始まらない。
そんな時代風習になってきていると感じます。
だから「個人力を高めていく」という視点が大切になってきているんですよね。
と、こうやってブログを書いている間に藤村先生のブログの更新のお知らせがきました。
そして内容ががむちゃくちゃタイムリー♪
現代社会は個人の力が増大している時代。
パソコンやスマホなどが、とても安くなって、誰でも手にすることができるようになった。
今のスマホって、ちょっと前のスーパーコンピューターくらいの能力がある。
ものすごい装置です。
それを個人が使えるようになった。
さらにSNSやブログ、YouTubeのような、個人が発信するツールが整備されている。そして、個人の発信のほうが、組織の発信よりも、格段におもしろいってこと。
もはやビジネスも個人の力が大きな影響を与える時代になった。
もうね、会社や組織、お店の括りは通用しない。
それよりも、いかに個人の力で それらの魅力を表現していくかということが必要になってくるんです。
道具に踊らされず、道具と融合していくには気持ちの入れ方を考えなおすこと。
頭のカタイ私たちは、道具さえ使えばなんとかなるんじゃないかと考えがちです。
でも、そうじゃない。
道具を通じて日々の想いを表現していく。
その想いを相手に届ける気持ちを持たないと意味がないんです。
気持ちは生物(ナマモノ)。
相手との気持ちの距離感を育てていこうという思いがなければ、どんなに機能や性能を覚えたって、SNSという道具は使いこなしていけません。
今日起こった出来事は「誰と共有したいのか?」
その投稿は「誰と気持ちを合わせるものなのか?」
Facebookを使うにあたり、そういったことをもう一度考えてみるのが大事なんじゃないかな。
Facebook記念日に思うのはそんなことです。
参加者募集中で〜す♪ ↓