記録的に残す日記(ブログ)は平安時代にもあった!
こんにちは〜。
シモサワです。
またまた資料作りに追われています〜。
資料を作り出すとあ~~~~~っという間に時間が過ぎてしまうんですよね〜。
以前は手書き資料しか作れなかったことを思うと、随分と進歩したもんです(笑)
というわけで、今日のブログを更新しますね。
お風呂中とか、寝る前とかに漫画や小説を読むのが習慣になっています。
続きものを1から読もうとすると、没頭しすぎてしまうのが難点です...
何回も繰り返し読んでいて、あらすじなんかは頭に入っているくせについ読んじゃう。
でもね、頭のなかをリセットするにはちょうどいいんです♪
昨夜もこんな平安時代を舞台にした漫画を読んでました。
漫画家さんとか、小説家の方って、その物語を書くのにものすごい量の資料に目を通すんですよね。
その膨大な量の情報を編集して、作品に仕上げる。
あとがきとか、参考資料一覧をみると、そのことが伺えます。
で、今回の読んだ「とりかえばや」は、もともと平安時代に作られた物語「とりかへばや物語」を漫画にアレンジしたものです。
(ちなみに「とりかへばや物語」は、いろんな作者の方が作品化しています。)
そのあとがきに、平安時代の貴族の日常っていうのが書かれてたんです。
午前3時
開諸門鼓(かいしょもんこ)という、太鼓が響き渡ると
大内裏と内裏の門があき貴族たちも起きだして出勤の用意を始めます。
(中略)
そして、昨日のことを日記に書きます。
これには、子孫がのちに参考にできるよう、儀式の手順なども詳しく書きます。
貴族たちの平安時代の記録が詳しく残っているのも、日記のおかげですね。
そして、先輩たちの日記は仕事の参考書的な役割もしたそうです。
日記とありますけど、これって「人に見られる前提」で書かれているってことですよね。
人に伝える、人に残すという意図で書かれているもの。
これを読んだとき、「ブログと同じじゃん!」って思ったんです。
平安時代と現代とではその公開方法が違っていますけれど、書く意図は同じですよね。
ブログという呼び名になると、最近の風習みたいに感じちゃいますけど、書き残す、書き示すという概念は、遥か昔からあったものなんですね。
それも、仕事の一環としてあったということ。
自分の役目を伝えていくというのは、時代に関係なく仕事のうちってことです。
1,000年も前のことでも知ることができる。
伝えていくってやっぱり大事なことなんじゃないのかな。
そんなことを思いつつ、今日の夜も更けていきます。
さー、もうひと頑張りしますか^^
それでは、また〜。