憧れを持つのは大事だけど、漠然としたままでは目標にできない。
こんにちは〜。シモサワです。
自分が持ってない要素を持っている人に惹かれる傾向があります。
優しさ、凛々しさ、頭の回転の良さ...
そういった内面的なことに惹かれるんですよね〜。
で、惹かれる相手には憧れを抱きます。
今日は「人に憧れる」っていうことについて、ちょっと考えてみました。
そもそも憧れというのは・・・
あこがれ【憧れ/▽憬れ】
あこがれること。理想とする物事に強く心が引かれること。
憧憬(どうけい・しょうけい)。
「―をいだく」「未知への―」「―のまと」コンバンクより
自分の理想とする姿を持っている人に対して抱く気持ちが「憧れる」ってことなんだと思うんです。
理想と憧れ
私は17歳の頃に出会ったスナックのママにものすごく強い憧れを抱きました。
そして「この人みたいになりたい!」と思って、やること成すこと真似していこうとして、若いころの浅はかな考えの中で試行錯誤しながら「ママたるものの姿」みたいなのを学んでたというか、猿真似をしていたというか...自分なりに努力をしてたんです。
そんなある日、そのママが何かをしたか言ったかよく覚えていないんですけど、とにかく「やっぱこの人、スゴい!」って思うことがあったんです。
思わず私の口から言葉が出てきました。
「ママを目標に努力している私だけど、ちっとも追いつかない。今日みたいなことがあると、追いつくどころか、引き離されている気がする。」
そこでママがこう返してきました。
「何言ってんの。あんたはあんたなりに確実に歩んで成長しているじゃない。でもさ、私だって、歩む道があるの。私は私で前に進んでいるし、あんたはあんたで進んでいる。目標にしてくれるのは嬉しいけど、そんなに追いつかれてたら、私の立つ瀬が無いじゃん。歩みを止めたら私が私でいられなくなっちゃうしね。」
このやり取りから、それまでは追いつこうと必死になっていた自分がちょっと恥ずかしいというか、おこがましいというか・・・私は私で、ママはママなんだ。
それぞれに歩むべき道があるんだ、自分と同一化させるものじゃないんだっていうことを感じました。
自分の理想の姿を持った人に憧れ、目標にするのは悪いことじゃない。
私が憧れている人本人の姿になるということはできないけれど・・・その人の姿を目標にするっていうことはできます。
ただし、気をつけなきゃいけないのはそのさじ加減。
憧れをただの理想のままにしておくと、理想論に走りがち。
憧れを具体化して、目標とする姿を自分なりに描くのが大事なんじゃないのかな。
憧れって、自分の願望を持っている人に持ちやすい。今はなれないけど、いつかはそうありたいとかね。憧れを憧れのままにしておくのはただの虚像になってしまう。憧れを目標に変えることで自分の行動も変わる。
— 下澤美香《集客応援マネージャー》 (@itan6053) 2015, 12月 11
そのためには、憧れている部分を細かく自己分析する必要があって、細かく分類していくと、自分ができることが見つかるし、できることできないことの振り分けもできる。
目標に向かってすべきことが見つかりやすくなるってことです。
感謝されたい人になりたいのなら、まず自分から心を込めた「ありがとう」をたくさん言うようにするとかね。
理想や憧れは漠然としたままにせず、明確な姿にして目標とし、行動するもとにしなきゃ。
ある人と話しながら...これって自分にも言えることだよな〜。
そう感じたので、自戒の念を込めて今日のブログに書き留めておきます。
それでは、また〜。