自分の表現方法を確立するために必要なこと。
お正月2日目。
今回のお正月休みの楽しみは「編みもの」と「小説を読むこと」
時間制限なく楽しんでいます♪
本を読みながらふと思ったんですけど...
インプットしたものからアウトプットするには、「結びつけ」とか「掛け合せた考え方」っていうものが必要なんじゃないかって。
インプットって、自分の中にないものを学んだり、知識を入れたりすること。
対し、アウトプットって、インプットしたものをそのままオウム返ししても意味が無いって思うんです。腹に落ちないというか、自分の身につかない。(身につくまでの繰り返しは大事ですけどね)
大事なのは「アウトプットの仕様はどうするか」って考えることじゃないのかしら?
じつは、この辺りのことが私の中でテーマになっているんですよね〜。
自分仕様の型がなかなかしっくりこない。
しっくりこない原因は、大きい型を想像しているから。
それよりも、もっと小型で小出しできるように型の数を増やせばいいんじゃないかなって思うようになりました。
自分の経験毎のテーマだったり、自分が好きなことをテーマにしたりすればアウトプットしやすいのかも。
知識×経験、学び×個性(好きなこと)=自分の表現方法になる
そのためには、そんな些細な事でも拾い出して結びつけたり、掛け合せるってことが大事なんだと思います。
きっかけは「邪馬台国はどこですか?」から
先月頂いた本「邪馬台国はどこですか?」
これね、ある程度の歴史を知っていないと面白くないかも知れない内容なんですけど、歴史が好きな私にはピッタリで、もう3回も読み返しています。
歴史って、紛れも無い事実のみが語られているものだとばかり思っていたんです。
でも、それはじつは単なる思い込みで、思い込みから勝手に創り上げてしまったこともあるかもしれない。
よく「こういうものだから」って思い込むことってありませんか?
昔から言われてきたことだから疑問に思わない、とか、違和感を感じてもそのままスルーしてしまうこととか...
私は先人たちの偉業があったから、今の私達の暮らしがなり立っていると思っているから、歴史に対して知っておかないと先人に失礼だっていう思いから、歴史に興味があって、その先人たちの行動に関心があります。
そして、もうその人達に会えないから、伝えられているものから読み取るしかないなって思っているんです。
でも、それだけじゃ足りなくて、史実から自分なりの見解を持っていいものなんだと...辻褄が合わないことや、感じる違和感にもっと敏感になっていいものなんだって気づきました。
そのために知識を得ることにもっと貪欲になっていいんだな〜。
最初に読み終えた時の感想がこんな感じでした。
思い込みって怖いなと思う
「そういうものだ」って思い込んでしまっていることって、自分の見解を出せないことが多いなって思うんです。
だから、考えられない。
だから、表現できない。
だから...アウトプットができない。
即ち、行動に移せない原因になるってこと。
行動できないということは、創ることができないということ。
そう考えていくと...思い込みによる自動思考って怖いなって思います。
そういえば藤村先生のブログを読んだ時も同じ感想でした。
どんな些細なことでも気にしてみること。
立場を変えて見方を変えてみること。
違和感に敏感になること。
自分独自の表現方法の確立にはそんなことが必要なんだと...
もっと自分の棚卸しをしてみようと思う年始めです。