SNSは今までの人付き合いを見直すきっかけともなる
こんにちは〜。
シモサワです。
今日は全国的に雪模様。
都会では交通機関の乱れが出ているようですね。
長野県は雪が多い地域といわれていますが、私が住む飯田市は同じ県内でも今回の雪の影響をほとんど受けてないです。
(降った先から溶けてます)
SNSは今までの人付き合いを見直すきっかけともなる
今日のブログは、ある投稿のコメントでちょっと気づいたことを書こうかなって思います。
名前も顔も思い出せない方から、さも友達かのように紹介されたことがあったんです。
たしかに過去に顔を知っている程度の間柄でしたけど、大人になってからは全く付き合いも、近況も知らないから...ちょっと、とまどってしまったんですよね。
さらには、さも深い中のように言われてしまって...
それを見た時に友達という定義、お客さんという定義っていうものをちゃんと見直したほうがいいなって思ったんです。
SNSは交流の手段の一つ、段階ごとに使い分けていけるもの。
SNSの機能ってとても便利なもので、自分が忘れているような共通項を元に交流する相手をピックアップしてくれます。
自分の過去や現在をもとに推進してくれるというものなんですけど、それってあくまでも「きっかけ」の一つなんですよね。
「共通項があるから仲良く慣れるかもしれないよ」って、提案してくれているだけなんです。
それをもとに交流を始めましょうっていうこと。
中には知り合いもいるかもしれないし、何十年も音信不通だった人との再会もあるかもしれない。
あくまでも巡りあうためのきっかけ。
そこからFacebookの場合は申請して、お友達(Facebookを使って交流していきましょう)となるわけなんですけど...この申請してお友達になったから「よく知っている人」と勘違いする方が多いんですよね〜。
顔と名前を知っている程度なのに、「あの人と繋がってるんだよね〜」みたいなことを言ってしまう。
繋がっているっていっても、どの程度のお付き合いなのかっていう具体的なことをちゃんと言わないと、誤解を招く原因となったりします。
「繋がる」っていう意味は奥深いものなのね。知ってる程度では縁が薄い。繋がるにはご縁を深めることが必要で、そのためにはお互いを深く知ろうとする気持ちが必要。挨拶程度じゃ繋がったことにならないよ。
— 下澤美香《デジタル集客応援マネージャー》 (@itan6053) 2016, 1月 18
これはSNS上で限った話ではなく、リアルでも同じ。
顔を名前と勤め先を知っている程度では、「知り合い」ではないし、意思の疎通ができていない人は「お友達」ではないんです。
リアルの場では意外と意思の疎通ができていないってことに気づきにくいんですよね〜。
本音を話さない人もいますからね。
SNSはお互いの気持ちの距離感を暖めていく場所。
お互いの行動や考え方を知り、気持ちを育てていく場所。
だから、本音を表現していく必要があって、建前ばかりでは「繋がった」事にならないんです。
建前ばかりでは、人付き合いできない世の中になっている
本音を隠す人、もしくは自分の本音に気づいていない人っていますよね。
(私は後者タイプ)
でもね、もう本音を出していかないと、本当の支持者には出会えないんです。
建前を取り付くような間柄では、もう支持してもらえない。
本気で、本音で行動している人しか選ばれないってことです。
だから軽々しく「あの人のことを知っているよ」っていうのも、どうなのかな〜。
自分は知っているつもりでも、相手には認識されてないってことがありますから。
認識されない、受け入れてもらえないっていうのは、本気で接してないからってこと。
SNSは機械を使うから、そういうことが見えないだろうってタカをくくっていると大ケガします。
じつは投稿から「人柄」って、丸見えなんですよ。
昔の投稿を振り返りながら「私って・・・嫌な人間だな〜」って思ったのはナイショです♪
1月20日(水)は、そんな過去の失敗談もお話させてもらおうと思っています。
お席に余裕がありますので、お時間がある方はおでかけくださいね^^