もしもあのとき、ブログがあったのなら違う選択肢が見えたのかもしれない。
書き表すとか、話すことで、人に伝えるという行為は、その趣旨が自分の中できちんとまとまっていないとできないものなんですよね。
まずは伝える要素をきっちりまとめる。
これができていないと、いくら投稿しても、いくら話しても伝わらない。
いまさらながら、その重要性に気づいたシモサワです。
般若みたいな顔になってる〜(汗)
今日もこうやってブログを書いていますけど、書いた先ではこうやってブログを見てくれているあなたがいますよね。
見に来てくれた人にとって、私が気づいたことが少しでも参考になればいいな〜と思うし、ちょっとした息抜きになればいいなと思って書いています。
ただし、そう感じてもらうためには、わかりやすくするために要素をまとめたり、具体的な体験談を入れたりと、ある意味自分自身と向き合うことが必要です。
自分の考えや行動にしっかり向き合うって大事。
この間、自分のスナック時代や会社に入った当時のことを思い出すのに、昔の写真を引っ張り出してきたんです。
あの当時は「仕事をする」ということに無我夢中で、時間や人の気持ちに振り回されっぱなしだったな〜。
そんな風に思い出していたんですけどね、ふと「あの当時にこうやってブログを書く習慣があったら、どうなっていたかな」って想像してみたんです...
あの当時、もっと「人に伝える」「理解してもらう」ってことをもっと真剣に考えていたら...
もしかしたら、違う選択肢が出てきたのかもしれない。
あ、今が良いとか、悪いとかじゃないですよ。
もっと、優しくなれたかもしれない。
もっと、愛情深くなれたかもしれない。
そうしたら、もっと違った景色を知ることができたのかも。
自分とちゃんと向き合うって、他人との関わり具合も視野に入ってくるものなんですよ〜。
他人に対しての態度がどうだったかみたいなことを振り返ることで、自分の立ち振舞いを検証できるって感じ。
起こる出来事の根源は、自分の立ち振舞いからですから。
すべての原因は自分にあるものだから。
そうやって、ちょっとでも考える時間をもって、ブログで書き表すことができたのなら、行動が随分変わってたんだろうな〜。
もしかしたら、もっと面白いことも考えられたかもしれない。(あ、それはナイか...)
ま、全ては「タラレバ」ですけどね(笑)
ブログやSNSの投稿は自己表現を通じて、他人と気持ちを共有するもの。
だから、その内容に自分と相手が存在していないと、伝わらないってことです。
自分の言い分ばかり通そうとすると、気持ちがイッパイイッパイになりやすいんだよ。気持ちがイッパイイッパイだと伝わりにくくなちゃうしね。まずは相手の言い分の意図を見るようにすること。そこに意識を持っていくと気持ちに余裕が出てくるよ。
— 下澤美香《デジタル集客応援マネージャー》 (@itan6053) 2016年3月13日
今日もたくさん笑おうね。
気持ちを共有するためのネタはどんなことがいいかな〜。
そんなことを考えながら、今週も頑張りま〜す^^