お客さんとしての線引きは必要か?
こんにちは。
シモサワです。
先週のブログで、人との接し方には相手の意図を見極めることが必要だよっていう内容を書きました。
今日はその続き的なブログを書きますね。
お店に来てくれるすべての人が「お客さん」になるとは限らない。
いきなり乱暴な書き出しでスミマセン...。
「何言っちゃんてのこのヒト。」と思う方もいるかもしれませんね。
以前スナックをしていた時の話です。
(最近、このネタ多いな...)
飲み屋という業態のお店なので、常連さんだけではなく、冒険心の強い一見さんや、なんとなくで来る方もいます。
訪れる方の雰囲気も様々で...それなりに楽しみたい方もいれば、そうでない方もいます。
楽しみたいなという方は気持ちを寄せてくれるので、仲良くなれるというか、こちらとしても精を尽くしやすいんですよね。
お互いを受け入れることができるという感じかな。
それに対し、そうでない方というのは...ちょっと大変なんです。
例えば、「お金を払う以上、俺は客だ!」という態度で何をしても良いと思ってしまう方っています。
「金を払うんだからここにいる権利はあるだろう」とか、何でもお金で解決しようとする人もいますし、会計の時にお金を投げつける人もいます。
雇われの時はそれをガマンしましたけど、独立してからはそれをガマンしなくなりました。
というのも、お金を払ってくれる人全てを「私のお客さん」という枠に入れたくないんです。
お金を払ってもらえないと商売として立ち行かないのは当然ですけど、受け取るお金と拾うお金とは重みが違うもの。
これを間違えちゃいけないなって思ったからなんです。
普通の商売していて、お金を投げつけられるようなことはそうそう無いと思いますけどね。
なんていうのかな、お客さんとのある程度の意思の疎通って大切だと思うんです。
双方の意思が通ってないと「楽しみゴト」は起きない
意思の疎通っていっても、大層なことじゃなくていいんです。
ちょっとしたことでいいんです。
同じものをみて、素敵だねって言い合えるか。面白いねって言い合えるか。
些細なタイミングが同じだねっていえるかどうか。
そんなポイントのツボが多ければ多いほど楽しみゴトは増えるから、さらに楽しくなっていく。
でも世の中、そんなにツボが同じだねって言える人はそんなに多くはないんです。
だって、そんなに無数の人を思い浮かべることってできないでしょ?
商売をしていると、どんな人でもお客さん扱いしなきゃいけない。
そう考えがちです。
でもね、大切にしたいお客さんは選んだ方がいい。
そう思うのです。