無理をするって美学っぽく聞こえるけど、じつは質を下げる原因。
こんにちは〜。
シモサワです。
今日は愛知県刈谷市で「スマホde情報発信講座〜デジタル音痴でも分かる!SNSの仕組みとその役割〜」を開催してきます。
今年から始めた自主開催講座もこれで4回目。
今日も参加される方たちと楽しめるようにガンバリます♪
その前にブログの更新をしますね〜。
先日、こんなツイートをしました。
昔ね「無理をしない=怠けること」だと思っていた私。限界ギリギリまでやることが無理をするってことで、それが当たり前だと思ってたのね。自分を自分で追い込んで気持ちに余裕がなかったのね。でもそれって、結局パフォーマンスの質が落ちちゃうんだよね。質を上げるには余裕を持つって大事だね。
— 下澤美香《デジタル活用集客アドバイザー》 (@itan6053) 2016年6月8日
気合入れて取り掛かるよ! とか
頑張りどころ、踏ん張りどころっていう時は、ついつい無理をしがちです。
そして、「こういう時に無理をしないで、いつ無理するのよ!」って...以前はそういう方針だったんですよ、私。
3年半ぐらい前に短パン社長に「ムリしなくていいから。」って言われ、それに対し「無理してないですよー、大丈夫です。」っていう、他愛もない話のやり取りがあったんです。
(なんでそのやり取りがあったのか...忘れちゃったんですけど)
でね、なぜかずーーーーーっと頭の片隅にその言葉が残っていて...「無理をする・しない」について自分なりの見解を考えていたんです。
で、思い起こせば...無理をしている時に限って空回りしてしまったり、無理やりなことをしたがために後々まで厄介なことになってしまったり、上手くいかない原因の一つになっていることもあったな〜って。
ちゃんとしようとすることに気がいって、自分らしさを見失う。
ムリをするって、そういうとこにもつながっていくんじゃないかしら?
無理を重ねることが、物事をこじらせている原因になっていない?
ということは、無理なことをすればするほど、労力をムダにしてるのかも...
というか、無理をするって、本来の自分の姿とかけ離す行為になるのかも。
そんな自問自答を繰り返して...「無理をするということは、美学でも何でもなく
、ただ自分自身を苦しめる結果を生み出す行為になる。だから、無理をするのではなく、エネルギー配分をしっかり管理することが大切。」とう結論になりました。
無理するのが当たり前なんて、なんでそんなコトを決めてたんだろう...私。
きっとね、集中して、気合入れてやろう!と思ったことが多すぎて、どんどん言葉がすり替わってしまったのかなって思います。
「ちゃんとするより、らしくやる。」
自分らしさのためには、多少のシンドいこともする。でもこれは無理ではなく、やるべきこと。そういった振り分け方も大切で、そのために自分自身をコントロールして、余力を持たせるってイメージかな。
楽しむには、こういうことも必要だって思う、今日このごろです。
あの日、(あの日だけじゃないけど)短パン社長に言われなかったら、ここまでしっかり考える事はできなかったんだろうな。
答えを出すのが遅すぎだけどねーーー(汗)
でも、気づけて良かった♪
感謝、感謝です。
さーて、今日も一日ゴキゲンで過ごしま〜す♪
ではでは、いってきます!