姪っ子との暮らしから感謝の念っての大切さを改めて思う。
こんにちはー。
シモサワです。
先月から諸事情があって、姪っ子ちゃんとの同居生活が始まりました。
誰かと一緒に住むというのは、4年...いや5年ぶりかな。
一緒に住むことになった姪っ子ちゃんとは、特別仲がいいというわけでもなく、実家に行っても一緒にご飯を食べる程度のもの。
正直なところ、うまくやっていけるかどうかは未知の世界でした。
私としては干渉しすぎずいこうと思いつつ、とはいえ完全な放任主義にもなれない性格で...ついつい何かと気にかけてしまいます。
もうね、バイトの面接に行くだけでも心中はヒヤヒヤもんです。
大人は気を回しすぎる
でも、こうやって見守っていると子どもとはいえちゃんと自分なりに考え、行動しているものなんですよね。
大人はどうしても、そこへやいのやいの干渉したがってしまいます。「これはこうした方がいい」とか。ま、私だけかもしれないですけどね。
できるかできないか、必要か必要でないかは結局本人次第なんです。本人が良いと思うか思わないか。その判断基準は経験が浅いから、大人と違っていて当たり前なんです。
そう思ったら、「ま、いいか。」と思うことが多くなりました。
とはいえ、体調管理やそれなりの服装、交通手段、生活に必要なことは教えていかないとですけどね。
素直に声がけできる姿が羨ましい!
必要なものを買ったり、洗濯や掃除、食事の片付けなどは分担したりしてますけど、彼女の偉いなと思うところは普通に「ありがとう」が言えるところなんです。
ご飯のときもしっかり「いただきます」が言える。
私が帰ってきたときは「おかえり!」って、出迎えてくれる。
そんなの当たり前じゃん!と思うかもですけど...その言葉を聞くと気持ちがすごく暖かくなるんです。
でね、以前の自分をちょっと(いや、かなり)反省しました。
というのも、こうやって手間暇かけることを「やってあげている」っていう気持ちが何処かにあったな〜って。
感謝の念は強要するものではない。
以前の結婚生活で感謝の念が足りなかったなって。
自分が足りていない感謝の念を相手に強要していたな〜って。
他者への感謝の気持ちが足りない人は他者からも感謝されない。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2016年8月22日
そういう人に限って感謝を欲しがっちゃうのよね。(経験談より)
気持ちの中に「私がやってあげているんだから感謝してよね」っていう気持ちがいたなって思うんです。きっと、相手に対してかまって欲しい気持ちが強かったんだろうな。だから、自分の行動に対して評価してほしかったし、それが感謝の気持ちを表すことだと勘違いしていたんです。
感謝の念っていうのは、相手の存在を受け入れると自然に発生するものなんですね。
だから心の底から普通に嬉しいな、楽しいなにつながるし、問題が発生すればなんとかしようと真剣に取り組める、そういうものなんですよね。
自分が上手くいかない原因を環境や人のせいにしてたら、いつまでたってもうまくいかないよ。それにさ、そう思うのは感謝の念が足りないせい。自分ひとりの力で世の中回っているわけじゃないんだから、もっと自分の周りに感謝しなきゃ。感謝っていうのは相手を思いやること。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2016年11月26日
今日から12月。
今年の振り返りをしつつ、来年への取り組みを見据える時期ですよね。
自分の行動を振り返る前に、感謝の念は足りていたかしら?
おざなりになっていなかったかしら?
私はそういったことを中心に振り返ってみたいなと思います。そして、それを踏まえ今後の行動にとりいれていこうと思います。
それでは、また。