人生いろいろ、十人十色。人の信用基準もそれぞれだからこそ自分の姿勢を持つのが大事。
私の仕事って、お互いの信頼関係がないと成り立っていかないものなんです。それも結構な深い部分で。信頼し会える仲だからこそ、話していて楽しいし、楽しいからいろんなアイディアも浮かんできます。
私の場合、お仕事の依頼をいただけるときって、依頼者の方から声をかけてもらうこともあれば、私の方から打診させていただくこともあります。
最初の頃は商売になるのか?と周りから心配されましたけど...やり続けているとそれなりに商売になってます。
見えないものを扱っているから、なかなかわかりづらいんですけどねー。
私の信用基準
私はわりと人をすぐ信用しちゃう方です。それでイタイ目に合わないかって?えーえー、たくさんイタイ目見てますよー。でも、それは自分の見る目が無かったり、対応しきれなかったから。それでも懲りずに信用することはやめられません。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年2月28日
信用する基準?
野生のカンとその時の気分ですっ(笑)
私はさみしがり屋なところがあるので、すぐ人を信用するクセがあるんです。
それが全部いい関係につながるかといえばそうでもなく、騙されちゃうことも多いんですよねー。
親友だと思ってた子に騙されちゃった。
信頼していたスタッフに騙されちゃった。
彼氏に騙された。
母親に騙された。
騙されたあとって、かなり凹みます。心もささくれちゃう。
なんで信用しちゃったのかって、自分を責めまくります。
あ、騙されたときって相手を責めても何も解決しないんだっていうことを学んだので、責める対象は自分自身になるんです。騙した相手が悪いんじゃなくて、騙された自分が悪いんだって。
その成り行きを聞いた人は「よく人間不信にならないねー」っていうんですけど、不思議と懲りずにまた人を信用しちゃうんですよねー。
だって、人はそれぞれ違うから。
たまたま騙した人との相性がそうだっただけで、世の中の人全員がそういうわけではないって思っているから。
だから懲りずにまた人を信用していきます。
その信用基準は自分の経験値による野性的カンとその時の気分(笑)
自分から信用していかなきゃ人の信用って得られない
信用って、人に押しつけてしてもらうものではないし、その相手の人の判断次第なので、自分でどうこうできるものじゃないんですよね。
相手の判断にまかせるとしても自分は何もしない状態では判断もしてもらえない。
だからまずは相手がどうであれ、自分が信用していくしかないんです。その結果が良かろうが、悪かろうがまずは自分がしてみる。
懲りても、凹んでも、そこで信用することをやめてしまったら、次の人とは出会えないから。信用してもらうことでしか自分の存在を感じることができないから。
そのためには心を強く持つというよりは、気持ちの割り切り感を持つのが大事なのかなって思います。
散歩しながらふとそんなことを思いました。
うん、何があってっていうわけじゃないんですけどね、たまに自分の方針みたいなのが浮かんでくることがあるので書き留めてみました。
それでは、また。