真面目は自動思考になりやすい。
こんにちは。
シモサワです。
今日は浜松市佐久間町の床屋さん、乗本さんのところで発信ミーティングでした。
発信ミーティングというのは、近況を聞きながら方向性に対して発信内容を話し合ったり、その発信をどう表現していこうとか、どんな手段を使おうかとか、それらのことを一緒に考えていきます。
その中でいちばん大切なのが近況の聞き取りです。
お客さんとどんな会話をしたのか?
どんなことを聞かれたか?
その内容の中に、発信に対するヒントがあるんです。
その要素をまとめたり、組み立てなおしたりして、今後の発信に反映させていきます。
真面目でいるとラクできる
「発信の文言が真面目すぎるのって、パッとしないよねー。 」
そんな話の流れになったんですけど、それを受けて乗本さんが「真面目でいるのってある意味ラクなんですよねー」って言ったのをきっかけにあることに気づきました。
ここのところの私は「遊び心(エンターテイメント性)を持つことがとても大事だな」って思うものの、根っこにある真面目ぶる自分がジャマをするというか、フタしてる感があって、なかなか上手く取り入れられないなー、なんて思ってたんです。
でも、この乗本さんの一言で、ラクな方に流されようとしている自分がいるんだなってことに気づきました。
どういうことかというと、真面目ってある程度の枠が決まっているから、そこにハマってさえいれば大丈夫という、妙な安心感があるんです。
そして、ラクというのは自動思考でいいから、自分で考えないでそれに準じていれば無難に過ごせるってことになります。
一方、遊び心というのは誰かの心に響くことをするということなんですよね。
そのために、人を楽しませるってことをすごく考えなきゃいけないし、工夫もしなきゃいけない。
そもそも、ものすごくめんどくさいことなんですよね。
でも、そのめんどくさいことが、今は必要とされることなんじゃないかしら?
その事自体を考えつくことが、その人自身の価値に繋がる、そういうものなんじゃないかと。
そう捉えてみると…まだまだ怠けていたな、私。
真面目って、定番化しやすいものなんですよね。
だから自分はラクだけど、他人にとっては飽きられやすい。
遊び心を育てるには、もっともっといろんな人の気持ちや仕草に触れていかないとなんですよね。
もっともっと視野を広げて、受け入れる気持ちを広げないとです。
真面目は正しい。
そんなふうに捉えていた私ですが、今日から「真面目はつまらない。つまらないものは魅力がない!」と方向転換できそうです♪
それでは、またー。