発信は自分の心の鏡。不自然さも自然な振る舞いもお見通しになっちゃうんです。
こんにちは〜。
シモサワです。
最近の私のTwitter投稿はお客さんとお話させてもらったことや、普段の会話(メッセンジャーのやりとり)で出てきた内容が中心になっています。
日常の延長線って感じで、日常を書き留めておくって感じかな。
投稿内容ってある意味会話と同じで、その言葉、その内容を受け取る相手がいないと成立していかないんですよね。
さらには、投稿作業をしている間はその相手が目の前にいないから、心に隙みたいなものが発生しやすいです。
「ちょっとぐらい話を盛ってもバレないだろう」って(笑)
でも、投稿って自分が意識していること、無意識下にあること、それらが自然と出ちゃうものなんですよね〜。
投稿を続ければ続けるほど...それが出ます。
それをプラスとするか、マイナスとするかは本人の考え方次第なんですけど、私はプラスの方に考えます。
だって...自分が意識していることって、自分がすべて認識しているとは限らないし、逆にコメントで突っ込まれたほうが無意識下にあることを自覚しやすいじゃないですか。
自覚がないことは直すことも、伸ばすこともできないけれど、自覚が出れば意識できるようになって改善できますもん。
だから、他の人の目線ってすごく大切だな。そう思うんです。
投稿はある程度、遡って見ることもできます。
で、自分の投稿を振り返る時って、ある意味で他人の目になれることもあるんですよね〜。
その振り返った時に「あ、なんかこの投稿イタイな」って思うこともしばしば(汗)
そういう時って、何かしら自分が無理していたりするんですよね。
発信ってさ、無意識下にあることも外に出ちゃうんだよねー。
— 下澤美香《デジタル活用集客アドバイザー》 (@itan6053) 2016年8月14日
「他の人に舐められたくない!」っていう気持ちがあるとカッコつけた内容とか、無理に楽しそうにしたり。
でもね、無理がある内容って「ムリしてるなー」って感じやすいのよね。人ってさ、不自然さに敏感じゃん。
発信は自分の心の鏡。
無理がある=不自然に感じるってことなんですけど、人って不自然さにすご〜く敏感なんですよね〜。
理屈じゃなくて、見た瞬間しっくりこないって感じかな。
無理くり「楽しんでます!」っていうより、本当に楽しかったことをそのまんま投稿すればいいと思うんです。
「仕事は楽しまなきゃいけない、だからあまり楽しくなくても楽しんでいるような投稿にしなきゃ!」
そんなふうに投稿しても...見ている人は多分楽しくないと思います。
だから、仕事ばかりの投稿じゃなくてもいいじゃん。
楽しかったことに対して、仕事とプライベートを分けなくていいじゃん。
特別楽しくなかったとしたら、嬉しかったこと、和んだことでもいいじゃん。
役立ち事ばかりでなくてもいいじゃん。
ウンチクばかり言わなくてもいいじゃん。
大切なのは、その感じたことをどうやって共有するかっていうことだから。
一人で噛みしめる喜びもあれば、関わっている人と喜び合いたいこともある。
自分の感情をそういうふうに割り振って考えてみるのも、いいかもしれないです。
なかなかね、自分の感情管理って難しいかもしれないです。
でも、人と関わっていく、人と気持ちを共有していくって...そういうところから始まるんじゃないかな。
今日はそんなことを思った次第です。
それでは、また。