「おすそ分け」って、愉しさを分かち合おうという気持ちの表現のほうがしっくりくる。
こんにちは〜。
シモサワです。
私の住んでいる地域は農作物を作っている方が多いので、収穫期になるとお野菜やら果物やら「おすそ分け」をいただくことがあります。
「おすそ分け」って田舎ではよくあることですけど…
若いころはたくさん収穫して食べきれないからよそ様にあげる、というような捉え方をしてました。
ウィキペディアで調べたら以下のような意味があって、あんまり感じがいい言葉じゃないようですね。
御裾分け(おすそわけ)は、「裾分(すそわ)け」の丁寧語である。
お福分けとも。他人から貰った品物や利益の一部などを、さらに友人や知人などに分け与えること。
「すそ」とは着物の裾を指し、地面に近い末端の部分というところから転じて「つまらないもの」という意味がある。よって、本来目上の人物に使用するのは適切ではない。
一方、お福分けは「福を分ける」意味であるゆえ目上の人物に使用しても失礼に当たらないとされている。
こういう言葉って、解釈の違いだと思うんですけど、分け与えるって言葉を使うからちょっと違和感を感じちゃうんですよね。(ちょっとエラそうだし)
それよりも、分かち合うっていう方が私はしっくりきます。
作物の「おすそ分け」って、豊作の喜びを分かち合いましょう、その美味しさを一緒に愉しみましょうっていう気持ちがあると思うんです。
いただくときに「うちの畑でこんな風になってったんだよ〜」とか「今年は天候が心配だったけどちゃんと実ったの」とか、その出来るまでの行程も教えてくれます。
その話を聞きながら、自然の恵み、手間ひまかけた人の労力に感謝してありがたいなって。私はその作業に携わっていないけど、その喜びのご相伴にあずからさせもらって嬉しいなって思います。
これって、くれた人と気持ちを共有するってことですよね。
でね、SNSの発信も同じじゃないかなって思うんです。
SNSの発信はさ、人を諭すものじゃなくて、人と分かち合うためのもの。楽しかったこと、嬉しかったことをおすそ分けするって感じ。おすそ分けって、余ったものをあげるんじゃなくて、自分が体験して良かったから一緒にどうですか?っていうもの。人の気持ちの輪っていうのはそうやって広がるから。
— 下澤美香《デジタル活用集客アドバイザー》 (@itan6053) 2016年7月11日
綺麗な景色をみたら、あの人にも見せてあげたいな。
こんなことがあって楽しすぎるから、楽しさのおすそ分けしちゃうよ〜、とか。
先日、あるお客さんに言われたんです。
「下澤さんはいつも楽しそうですね。その楽しみ方にあやかりたいなって思うんです。」って。
私はできるだけ楽しかったこと、嬉しかったことを中心に発信するようにしています。シンドいことやツラいことだってモチロンありますよ、人間だから(笑)
でもね、そういったことは自分の中で解決することであって、他人を巻き込むものじゃないと思うから、言わないだけです。
他人様を巻き込んでいいのは、愉しみごとだけ。
そんな自分ルール作って発信しています。
そして、もっと愉しみごとをおすそ分けしていこう。
採れたての夏野菜を料理しながらそんなことを考えていました。
それでは、また。