失敗だらけの人生の私。でも、人生を進める気持ちは止めずにいたい。
こんにちはー。
シモサワです。
今日はある雑談で思ったことを書いていきますね。
私は自信に満ちている人って、うらやましいな~って思っています。
逆に自信なさげな人には、大丈夫だよって声かけたくなります。だって、その人の中には素敵要素があるから、そこをもっと表に出すともっとステキになると思うから。
こう思うのは、私自身が自分の素敵要素に気づけなくていて、それで失敗が度重なって何をするにも自信がなくなっちゃった時期があったからなんです。
私ね、いろいろと失敗だらけの人生なんです。
人間関係、異性関係でたくさん失敗していて、ここで書こうと思ってら書ききれないぐらいです(汗)
でね、その失敗は取り返しのつかないものだって、どこかで思っていたんです。取り返しのつかないことばかり繰り返しているから、私には生きている意味もないんだろうな...そう思った時期もありました。
でも、以前病気したときに友達に言われた言葉で、これじゃいけないなって思ったんです。
以前、病気したときに友だちに言われた言葉「命が助かったということは、神様があなたにまだやることがあるって言ってるんだよ。あなたは必要とされているってこと。それが何かをちゃんと探していかないといけないの。」
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年3月13日
それは何であるのかまだわからないけれど、必要としている人には出会えたよ。
自分がやるべきこととか、やることって、なかなか実感できないけれど、そのことを意識するようになったら、今までの失敗だらけの自分の人生も捨てたもんじゃないなって思えるようになったんです。
私の経験談が誰かの行動の目安になったり、経験したことで何かを思いついてくれたりっていうことがあって、「私の経験はこういうときのためにあったにかもね。」って思うようになったし、失敗した経緯がどうこうじゃなくて、失敗から立ち直るって事が大事な要素なんじゃないかと思うようになりました。
失敗って、自分の気の持ちようだったりします。
その出来事がどうしようないことだって自分を追い詰めていってしまうと、思考が止まってしまい、気持ちが動かなくなってしまうんです。
その原因は杓子定規的な考えしかできない場合が多いです。
でもね、その失敗を自分が謙虚な姿勢で受け入れてみると、見方が変わってきて、そこに関わっていた人たちへの気遣いとか、気持ちを考えてみるとか、違った角度から物事を推し量れるようなるんですよね。
そうすると、失敗して嫌な気持ちになったことが嫌なことにならなくなってきたりするんですから、不思議なものです。
こう思えるには時間が必要だったりしますけど、「失敗したっていうのは嫌な思いをしたから二度としたくない」と思ってしまって、頑なな考えのもとになっちゃうんです。
人間だから失敗することもあるよね。人を傷つけることだってある。でもさ、人だからその失敗を取り返すこともできるもの。杓子定規な考えをしていると受け入れ難くなっちゃうけど、ほんのちょっと気遣う気持ちを持つと取り返す方法を思いつくし受け入れる気持ちになれる。気持ちを止めないことが大事。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年3月20日
気持ちを止めてしまうというのは、行動もとめてしまうということ。
行動できなければ何も前に進んでいきません。
気持ちを止めることなく、循環させる意識を持っていくと、自分がやるべきこととか、やることが見えてきたりします。
そうするとまた行動できるし、行動すれば人からの気持ちが返ってきます。その気持ちに応えようとまた行動を起こす。
こういった繰り返しにつながる、そういうものなんだなって思います。
あとはその行動の内容を具体的な言葉で表せるようになると、自信につながるんだろうな。
こういう方程式みたいなことは分かるんですけど、そこに当てはまる言葉が見つからないのがちょっともどかしいです。
今日は思いついたまま書いちゃったからまとめがないけれど、過去のことや自分の力が及ばないことに気持ちをとらわれ過ぎないように気をつけたほうがいいよね、そんなことを書き留めておきたかった次第です。
それでは、またー。