「仕方がない」は気持ちを切り替えるための呪文。
人生を歩んでいれば、得るものもあるし、失うものもありますよね。
得たときは、喜びでいっぱいになるけれど...
失ったときは、悲しみに打ちひしがれる。
何かを失うってとても怖いですよね。
だから、なんとか取り戻そうと策略したり、失いたくない一心で、そのことばかりに執着してしまう。
でも、どんなに理不尽があったとしても、道理が通らなくても、しょうがないときってあります。時には自分を押し殺してでも、受け入れなきゃいけない、そういうこともありますよね。
嫌だけど...しょうがない。
この「仕方がない」って、気持ちを切り替えるための言葉なのかなって思います。
先日、仲間と飲んでいるとき、私の父の話をしました。
この父は遺伝子的には父ではないのですが、戸籍上は父です。父は、人としてはあまり立派な人ではなく、むしろ悪人の類に入ります。ですが、私にはとても優しかった。
父と過ごした時間は5年ほどと僅かな時間でしたけど、私も父が大好きでした。
何十年も離れて暮らしていたけど、戸籍上ではつながっているから、父娘というつながりは保てている、そう思っていました。
ですが、父が亡くなった際、負債があることが判明して。
些細な額でしたけど、それを支払うことで何が起こるのか予想がつかない状態だったので、放棄手続きをしました。
ですが、この手続きは唯一あった私と父との繋がりを断ってしまうことにもなります。
断ってしまったら、本当の他人になってしまいます。
いろんな想いが錯綜しましたが、仕方がないことだからと、手続きをしました。
とても悲しかったけど、繋がりは形だけではなく気持ちの持ち方次第なものだからと、気持ちを切り替えることにしました。
仕方がないことって、物事の大小にかかわらずいろいろあるかと思います。
私の友達は「人間だから、そういうこともある。しょうがないよ。」っていうのが口癖で、旦那さんの行動や言動にイラッとしても(笑)それを受け入れています。
物事を受け入れる。
手放しで受け入れ難い、でも、受け入れなきゃいけない。
そういったときのために「しょうがない」って、あるんだと思います。
「仕方がない(しょうがない)」
理不尽な困難や悲劇に見舞われたり、避けられない事態に直面したりしたさいに、粛々とその状況を受け入れながら発する日本語の慣用句。
いちいち物事に波風を立ててたら、良いことは起きにくいものです。
物事を受け入れて気持ちを穏やかにする。
気持ちが穏やかだと、良いことが起きやすいですよね。
「しょうがない」は、そういうものにもつながるのではないかなと思います。
演じるって楽しい!エクスマ新春セミナーまであと5日。
お芝居漬けの2日間でした。
お芝居って、セリフさえ覚えればなんとかなるものだと…ゴメンナサイ、どこかでタカをくくってました。
そもそも、お芝居ってセリフを言うだけのものではないですもんね。覚えたつもりのセリフも、いざ合わせてみると出てこなくて。場の流れにのまれちゃったり、相手の間に入れなかったり、いろいろが想像と違ってました。
でも、やっぱり演じるって楽しいです♪
今年は演劇を学ぶコース「劇エヴァコース」を受講してます。友人たちからよく「何で演劇なの?」と聞かれますが、娯楽として観せるための勉強ではなく、仕組みづくりに必要な要素を学んでいる、そんな感じです。
藤村先生のブログに「演劇がビジネスに役立つ3つの理由」という記事があり、そこには
1:シナリオ力が養われる
2:演出力が養われる
3:プロジェクト能力が養われる
とあります。
劇の要素で大切なのは、シナリオです。
お芝居がどう始まって、どういうふうに物語が進行して、どういう結果になり、どういうメッセージを観客に与えるのか?これを、常に考えているわけです。
売れるしくみっていうのは、シナリオです。
モノを売るために、集客するために、シナリオ発想がとっても重要です。
演劇をやっていた人は、シナリオ発想ができるんです。
普段の自分ではあり得ないことをしたり、想像でしか知らないことをしたり。そして、それがメッセージの一部になっていく。
そして、演じる側の感覚と、観る側の感覚との違いも意識しなきゃとか。
今回の合宿も発見の連続でした。
私は演劇は素人ですけど、メッセージを伝えるためにはどうすればいいか、とか、自分が思ってる動きでは伝わらないとか、いろんなことが勉強になってます。そして、小さな気づきがたくさんあって、それが日々の行動や活動にリンクすることがたくさんあります。だから、修正しようとか、もっと良くしよう!そう思えるんです。
でね、メンバーの力が織り重なり合って、その場が膨らんでいく。チーム本来の力ってこういうことをいうのかなと、そんなことも感じました。
本番となる、新春エクスマセミナーまで、あと5日。今回の合宿での気づきを踏まえて、とにかくやるっきゃないです!もうね、頑張るとか、そんなレベルじゃなくって、追込みかけますっ。(この追い込まれ感がちょっと気持ちいいです(笑))
新春エクスマセミナーの東京会場は満席になってますけど、大阪会場は若干名なら、まだ入れるとのことです。
セミナー概要はこちらをご覧くださいね。
https://www.ex-ma.com/blog/archives/10093
というわけで、これから飯田に帰ります。
お疲れさまでしたー!
自分で考える力を養う。仕事をする上でとても重要なこと。
先日、こんなツイートをしました。
情報を仕入れたら、咀嚼して見解を出す。それを表現したり、実行してみる。その行動から得た感想や検証を分析してみる。そしてこれを繰り返す。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2019年1月9日
情報に振り回されないためには、それを鵜呑みにしないことですね。自分の考えを持つ。これに尽きるかなと。#街の社長の家庭教師
自分で考える力を養う。
商売している人はもちろんのこと、お勤めの人でも仕事というものをしている以上大切なことだと思います。
行動も、思想も自分で考えるから、起こることですし、何かを起こすきっかけになります。
ただし、考えたことがすべて通るとも限りませんし、すべてあっているわけでもありません。考えたことを形にしてみて、違っていたり、違和感があったり、不自然さを感じたら、修正するためにまた考える。そして、行動する。
人生を生きるって、これの繰り返しなんですよね。
考えるのがめんどくさいと思っている人は、考えても問題が解決しないと思っているから。でも、不満を抱えたままのほうが問題が増えたり、問題が大きくなったりしてしまうんです。
考えないというのは、自分で自分の立場を悪くしていることにも繋がります。
だから、いろんな情報に触れていくってとても大事なこと。
そして、その情報を鵜呑みにするのではなく、自分なりに咀嚼して見解を出す。
その情報の的は仕事に関わることでなくてもいいんです。自分の興味を広げられるものから、まず取り組んでみる。
そうすると、考えるクセが付きやすくなって、自然に仕事にも応用できるようになります。
どんな情報をみたらいいのかアテがない。。。
そう思う方は、私のTwitter発信をみに来てくださいね。ネットニュースなどで気になった記事をツイートしていますから。
一応、その記事に対する感想をつけるようにしていますが、たまにそのままリンクだけをツイートしちゃうときもあります。
でも、「なんでこの記事だったの?」とか、コメントもらえたら嬉しいなとも思いますので、よろしくです^^
人の行動には理由がある。その理由を紐解くと次の行動へのヒントが見えてくる。
お正月休みが終わった途端、お正月気分が抜けるのも早いような気がします。
私のお正月休みは4日間でしたが、特に予定もなかったので休みが長いなーって思ってたんですよね。でも、過ぎてしまえばあっという間で。ま、お休みって、そんなものですよね。
さてさて、この休みの時間を使って一研究的なことをしてました。
その分野は、民俗学、文化人類学、応用人類学です。
もともと歴史や、風習、言伝えの類にとても興味があったんです。
なんで、ここにお城を建てたのか?
なぜ、この地名がつているのか?
どうして、この時期に行事があるのか?
そのもとを辿っていくと、それぞれの理由があることがわかります。
そして、その理由の大元は、人々の暮らしが良くなるよう、願ったものです。
歴史や風習は、良くなるための行動だったということで、その想いは受け継がれ、いつの時代も変わらないもの。
ということは、その行動の理由の根本を紐解いていくことで、現代の行動のヒントにもつながるのではないかなと思うんです。
時代が変わって、道具も変わっていますけど、想いは変わらない。
その想いを、それぞれの時代にあるもので、それぞれが形にし、それぞれに伝えていた。その流れを知りたいなと思うんです。
もともと歴史が好きだったんですけど、なぜ好きなのか?興味の矛先が止まらないのはなぜなのか?ということを自問自答していました。
単に歴史を覚えても役立ち要素にはつながらないし、起こった出来事をそのまま伝えても、「へー、そうなんだ。」で終わってしまっていて。でも、何かあるはずだと、ずっと考えていました。
歴史での事由だけを見るのではなく、文化の流れを読んでみる。
自分の興味の見方を変えてみたら、民俗学・文化人類学・応用人類学が私の興味を深掘りできて、なおかつ応用できるのところなんだろうなというところにいきつきました。
まずは独学で勉強しています。
この分野はなかなか複雑で、基本を知るだけでもひと苦労ですけど、自分の中にある疑問点と擦り合わせることで楽しみながら進めてます。人間行動の根底にあるものを探る、そんな感じです。
以前は読めない漢字があったり、言葉の意味が理解できなくて挫折することがあった勉強ですけど、今はネットがなんでも教えてくれるから、自分の気持ち次第で勉強できて、本当にいい時代だなと思います。
そして、これをもとに、身近な人がもっと笑顔になることをたくさん考えていきたいなと、そう思ってます。
思ってたより時間が足りなくて...休みの期間だけでは、見解を出すに至りませんでした。今後も時間の隙間で取り組んでいきます。
そして、その考えをまとめるために、またこのブログでも紹介していきますね。
優しくなりたい。
今年の目標の一つに「優しくなる」ということを挙げてます、私。
というのも、コンプレックス(劣等感)が多々あって、舐められたくないという気持ちがどこかにあって...つい厳しい判断をしてしまうことがあります。
でも、あとあと事情を分析してみると「そこまで厳しい目で見なくても良かったかも...」と思うこともしばしばあって。それに、必要以上に介入しようとしてしまうから、またそこで厳しくなっちゃうんですよね。
厳しさを無くすのではなく、もっと加減したいなって。そう思います。
優しさって、なんだろう?
優しくなりたい。
そう思っていても、その意味を知らないとなれないですよね。
調べてみましたよ。
大辞林 第三版の解説
やさしい【優しい】
一
① 穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。
② 思いやりがあって親切だ。心が温かい。
③ 上品で美しい。優美だ。
二
① 身もやせるような思いでつらい。他人や世間に対してひけ目を感ずる。恥ずかしい。
② 心づかいをして控えめである。つつましやかである。
③ (節度をもって振る舞うさまが)殊勝である。けなげである。
デジタル大辞泉の解説
やさし・い【優しい】
[形][文]やさ・し[シク]《動詞「痩(や)す」の形容詞化で、5が原義》
1 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
3 性質がすなおでしとやかである。穏和で、好ましい感じである。
4 悪い影響を与えない。刺激が少ない。
5 身がやせ細るような思いである。ひけめを感じる。恥ずかしい。
6 控え目に振る舞い、つつましやかである。
7 殊勝である。けなげである。りっぱである。
「優しい」を表す言葉がこんなにもあることにビックリです。
その中でも心がけていきたいなと思うのは「穏やかさ・思いやり・親切」そして、寛容さも身に着けたいなと。
優しさって、人によって感じ方も違ってくるものですけど、その見返りを求めてたらいけないんだろうなって思います。
見返りを求めず、人に想いをかけること。
優しさって、そういうことろから始まるのかなって思います。
人との関わりがあるからこそ、商売が成り立つ。SNSで縁を育てましょう。
こんにちは。
仕事始めな月曜日がピーカンだと、なんだか嬉しくなりますね。
お天気がいいとやる気も倍増するのはなんででしょうね〜。
さてさて、私は、ネットやSNSを使ってお店や企業の情報発信をするお手伝いをしています。というのも、情報発信なのになぜか宣伝になっちゃったり、売り込みになっちゃたりで、お客さんとの交流につながる内容が思いつかない方が多いからなんです。
お客さんとの交流がなければ、商売繁盛には繋がらないもの。
お客さんとの交流を活発化させ、商売繁盛に繋げる、そういったことをしています。
人との関わりがあるからこそ、商売が成り立つ
そのことで、いろんな経営者さんにお話をさせてもらうんですが、ときどき不思議だなと思う言葉を聞くときがあります。
「忙しくてSNSなんかやってられない。」
「人と関わるのは面倒だから嫌だ。」
といいつつ、お客さんを増やしたい、売れるようにしたいって。
作業的にやることだけやれば、あとは勝手に売れていけばいいんだって。
それを聞いて、そんな都合のいい流れなんてないんじゃないかな〜って思うんです。
というか、そんな都合のいいことのためにやってたら、そもそも商売じゃなくなっちゃう。
人が生活するためにどうしても必要なもので、そこでしか手に入らない、何をおいても買わなきゃいけない、そういうものなら、もしかしたら可能かもしれないですけど、今の時代、そういった対象のものって思いつかないですよね。
むしろ物が多すぎるし、必死な思いまでして買わなきゃいけない物って特にないですもん。敢えて買わなくてもいい。そんな流れなのに、都合よく売れることなんてありえない、そう思います。
「忙しくてSNSなんかやってられない」
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2018年12月26日
それって、他人に興味が無いと言ってるのと同じこと。他人に絡みたくない、面倒だって思うのもわかるけど、商売は他人様を相手するものだから、そんなこと言ってられないんじゃないかな。#街の社長の家庭教師
そもそも商売は、人さま相手にするもので。
人の気持ちを理解することもしていかないと、その商売の良さは活きてきません。
人を「お客さん」という括りでモノ扱いしていたら、相手からもモノ扱いされます。
お互いに人として接して、人として関わっていく。
そういう気持ちも入れていかないと、商売って回っていかなくなっちゃいます。
情報発信はかしこまった言葉を使わなくても大丈夫
情報発信に対して「文章が書けないから、発信ができない」という方も多いです。
発信するのに、文章は書けなくてもいいんです。私だって、最初は何をどう書いていいのか見当がつきませんでした。
でも、それは「誰に、何を伝えたいのか」という部分がなかっただけ。
そして、伝えた内容で、伝えた相手とどうなりたいのか、その相手とはどんな人なのか、そういった具体的なビジョンが描けていなかったから、できなかったんです。
SNS投稿には気持ちを込めること。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2018年12月28日
文章が少々整ってなくても、ちゃんとした言葉でなくても、見てくれる人への「メッセージ」が入っていればOKなんです。
だから、そんなに難しく考えなくていいんですよー。#街の社長の家庭教師
大切なのは、その人を想うこと。
思い浮かべたり、思い返したり。
その人に対するメッセージを綴る。
それらを意識して、繰り返していくことで、言葉は自然と出てくるようになります。
相手のことを思って、その人のことを考えてると、「あれはこうだったね」「これも言ってあげたほうがいいかも」と、言葉が浮かんできます。浮かんできた言葉をそのままにしないで、形に記す。
それが気楽にできるのが、SNS投稿だったり、ブログだということです。
言葉を難しく考えないで、メッセージを送るぐらいの感覚で使ってみてください。
そして、そのメッセージで、お客さんと交流してその縁を育てていく。
そういったことも商売には必須だと思います。
今日から仕事始めの方も多いと思います。
年が変わっても、物事が大きく変わることはないですけど、変わるきっかけづくりの手は休めないようにしていきたいですね。
気持ちを変える、行動を変える。まずは自分から、ですね。
じつは音痴なんです...私。
「歌を唄うのは楽器を奏でるのと同じこと。自分のカラダ全部が楽器本体だから、カラダ全部を使って唄うんです」
これは15年前に通っていた、ボイストレーナーさんから教えてもらったことです。
30代の頃、ボイストレーニングに通っていました。
そのきっかけとなったのは、当時のボスからの一言でした。
「あんた、音痴だから。」って。
歌を知っていても、唄が上手いとは限らない
幼年期を過ごした母の実家は山奥にあって、繁華街へ出かけるのに車で40分ぐらいかかります。なので、自宅にカラオケセットがあったんです。いまはもうお目にかかれない、ハチトラから始まり、レーザーディスクプレーヤーがあって...今の若い人たちは全く知らない機器を使って、ほぼ毎晩叔父がカラオケしていたんです。
1980年代はデュエットソングも多くヒットした時代でもあって、その相手としてよくつきあわされていました。
そのおかげもあって、昭和を代表する曲はほとんど知ってますし、歌えます。
だから、「音痴だ!」と言われたときは、凄くショックだったんですよねー。
人に聞かせる立場にあるなら、トレーニングすべき
自分なりには歌を知っているから、唄えているつもりでいたんです。
でも、ボスのいう「音痴」は、表現的に「人に聞かせるレベルではない」ということを言いたかったらしいんです。
サビの部分で半音ズレる時があったり、自分の気分任せに唄ったり。
それはプロとして失格だと。たった200円かもしれないけれど、お金をもらって唄っている以上プロなんだから、プロとして唄いなさいと。
そして、それぞれの歌にはそれぞれのストーリーがあり、そのストーリーを思い起こせるような唄い方をする、それがプロとしての唄い方だからと言われました。
そのために発声の基本を学べと。
たまたま、エイベックスのボイストレーナーさんの教室が地元で開催されていたので、通うことにしたんです。
その教室では発声や滑舌のレッスンばかりで、当時の私はちょっと物足りなさもあったんですよね。歌のレッスンなのに唄わないんだーって。
唄うといっても、使うのは身体全体
でも、「歌を唄うのは楽器を奏でるのと同じこと。自分のカラダ全部が楽器本体だから、カラダ全部を使って唄うんです。」という言葉を聞いて納得したんです。
習った呼吸法はお腹だけ使うのではなく、膝の関節、背中、腰回り...体のあらゆる部分で空気を出し入れできる方法で、体内の空気をコントロールする方法でした。そうすることで、身体全体を使うことを覚えていく、そんな感じです。
身体全体を使うことを覚えると、いろんなパターンで発声できるようになります。
声を大きく張り上げる歌い方もあれば、響かせて奏でる歌い方、優しくささやくような歌い方(これが私はちょっと苦手...)、歌のストーリーに合わせた唄い方ができるようになります。
その後、開腹手術をしたので、それっきり通えなくなってしまいましたが、自分から進んで学びにいったことはいつまでも覚えているものですね。
その当時学んだことを一つ一つ思い出しながら、再トレーニングしてます。
歌レッスン。練習だから、ヒトカラも気楽だよー https://t.co/DrazmOd3g7
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2019年1月6日
エクスマ新春セミナーに向けての練習をしています。
最近の私のツイートは、やたらとカラオケに行っているようなイメージになっていますが、じつは...エクスマ新春セミナーのお芝居の一部で唄うシーンがあるからなんです。
そこに向けての練習をしています。
今回のエクスマ新春セミナーは、映画、演劇と演目がいろいろあります。
短パン社長率いる映画チームは予告編もできていて、期待感が高まりますー。
エクスマ新春セミナーは東京と大阪で開催されます。
東京会場:1月16日(水曜日)<満員 キャンセル待ちです>
大阪会場:1月22日(火曜日)
東京会場は満席となってしまっていますが、大阪会場はまだ受付可能だそうです。(残席が少ないので、お早めにー)
セミナーの詳しい内容は、藤村先生のブログをご覧くださいね。
(セミナー申込みもこちらからできます。)
いよいよあと10日。
エクスマ演劇コースが始まった頃は、演劇なんてやったことないし、演劇の要素もよくわかっていない状態でしたけど、演劇だと構えて捉えるのではなく、自分の日常と置き換えられることを探し出したり、日常で感じたことを再現したり、と、日常を広げる感覚にしたら、演劇ってとても楽しいものだなって思っています。
皆さんに楽しんでもらえる時間の一部になれるようにしたいなって思うので、しっかり練習に励みまーす^^
お客さんを大事にする。そういっても、相手のことを知らないと大事にできないですよね。
お客さんのために。
お客さんの役立つことをする。
お客さんが喜ぶことをする。
商売の基本はココにあると思うのですが、その「お客さんの人物像」を知らないパターンが案外多いんです。
人物像を描くということは意外と大事で、その相手のことを知らないと、どんな困りごとがあって、どんなことが喜びにつながるかということの見当がつかないものなんです。
相手を知らないから、その必要性もわからない。
そんな状態で商品やサービスをおすすめしても、見当違いになってしまい、頼りになるどころか、鬱陶しいと思われてしまう、そんなパターンにつながってしまいます。
どんな場合に、その内容が活きてくるのか。
そのすり合わせがとても重要なんですよね。
お客さんを大事にします!
そう言いつつ、お客さんの内情を何にも知らないでいるのは、口先で言っているのと同じことで、お客さんを人としてみていない証拠です。
お客さんをモノ扱いしているから、モノ売り視点で接しようとしてしまう。
そうなると、お客さんだって気持ちを入れた接し方をしてくれなくなってしまいます。
人は不思議なもので、自分の捉え方、接し方がそのまま返ってきます。
大事にしてほしいのなら、まず自分から大事にしていかないといけないってことです。
お客さんを大事にする=いつも気にかけること。
私の基本はここにあります。
自分の気持ちの中に入れることで、相手の行動ややりたいことの予測をつけやすくなります。
その場でいきなり相手のことを考えようとしても、なんにも思いつかないので、常日頃から気にかけるというのが、とても大切なんです。
気にかけていることは、どんな形でも、いくらでも表現できます。
とくに、いまはSNSやメッセージアプリが浸透しているので、しやすいんです。
自分のことだけを知ってもらう手段で使うのではなく、相手のことを知るためにも使う。使い方しだいで関わり方を変えていける、そういう時代なんですよね。
正論ばかり掲げても人は納得しない。正しいだけじゃ生きにくい。
若い頃は正しいことが良い事なんだと、正しさを極めていけば良くなるもの、そう思っていました。
でも、歳を重ねるとともに、世の中正論ばかりがまかり通るわけではないんだなって、そんなことを思います。
そもそも正論って、なんのためにあるのかな?って。
正しいことと、良い行いとは同じようでも違うんですよね。
正しさばかりでは融通が効かないし、融通が効かないものは窮屈で、個性をも押さえつけてしまって、その人自身の良さを殺してしまうかもしれない。そんな危うさもあります。
逆に、本当に悪いことをする人もそんなに多くないですしね。
悪いことをするのではなく、ちょっと足りないだけ。
足りなければ、足してあげればいい。
それが結局、良いことにつながるんではないのかなって。
正しいことが必ずしも楽しさにつながるとは限りません。
ちょっと外れている方がワクワク楽しいってこともあります。
そうやって物事を捉えていくと、正論ばかり掲げていたら、人は納得しないし、納得しないからついてこない。
人としての緩さを受け入れつつ、整合していく、そんな感覚のほうが人との関わりは上手くいく。
そんな風に思います。
とくに、水商売の世界って、緩さ満載なんですよね。
その緩さばかりを受け入れてばかりいたら、無秩序になるし、緩さを認めなければ、酒場としての意味もなくなるし。
なんにしても、その場の加減っていうのを見極めることが大事ってことです。
というわけで、今年最初のホステスナイトに出勤してきます。
人に惜しまれる人になるには、人のために生きること。
今年のお正月休みは時間に余裕があるので、ついドラマのイッキ見をしてしまいます。
HuluやNetflixなどの配信サービスって、本当に便利ですね〜。
さて、昨日観たドラマにテロップにこんな言葉がありました。
あなたが生まれた時
あなたは泣いて 周りの人は笑っていたでしょう
だから あなたが死ぬ時
あなたは笑って 周りの人が
泣いている そんな生き方をなさい
これは、ネイティブアメリカンの教えの言葉です。
ネイティブ・アメリカン(Native American ネイティヴ・アメリカン)とは、アメリカ合衆国の先住民族の総称である。1492年にヨーロッパ系白人が現在の北米地域に到達する以前に、現地に居住していた民族を総称していう。この集団のアイデンティティ形成には、地域文脈、居住地域における同胞民族の存在、ネイティブアメリカン特別保留地との距離等の要素が関連する。
<ウィキペディアより>
自然と共に暮していた先住民族の教えには、生活に欠かせない先人の知恵があります。
生活に欠かせない知恵。
それは人と人が関わりを持つ上での知恵ごとも含まれます。
あなたが生まれた時
あなたは泣いて 周りの人は笑っていたでしょう
だから あなたが死ぬ時
あなたは笑って 周りの人が
泣いている そんな生き方をなさい
この言葉には、人の一生が凝縮されてるなと思います。
生まれたときは、その誕生を喜んでくれる。
死ぬときは、その人を惜しんで泣く人がいる。
生まれるときは、その場を選ぶことはできませんが、死ぬときはその状況を作ることができます。自分の人生は自分で切り拓き、作り上げていくもの。その時、周りの人がどれだけ心を寄せてくれるのか。
それは、人のためにどれだけ心を寄せ、行動したかということに比例するのではないかと思います。
まだまだ自分が死ぬときのとこを具体的には考えられませんが、いい人生だったなと悔いの残らない生き方をしたいなと思います。
そのためには、人を楽しませたり、人に優しくしたり。
人になるためになる、良い行いを重ねていきたいですね。