横柄な気持ちのままでは時代の変化についていけない。気持ちの危機管理が必要かなと。
こんにちは。
シモサワです。
昨夜は地元で食事会(ん?飲み会?かな)してました。
基本的におうちごはん派なので、地元ではあまり外食をしなくなったんですけど、気の合う人とのお外ごはんは楽しいので、美味しさ倍増になります。
楽しすぎて夜ふかししちゃった♪
話は変わって、ふと以前、思っていたことを書いていきますね。
スナックをしているころ「この世に人間が存在する限り酒場は無くならない。」そう思っていたの。でも、そもそもなぜ酒場が必要なのか、酒場の役割ってことをちゃんと考えていなかったの。酒を提供することだけ考えていたら存在し続けることはできないのよね。もっと根本的なことを考えていかないとね。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年5月29日
スナックをしているとき、お客さんが口々に「景気」の話をしてくることがあったんです。リーマンショックの頃だったかな...
余談ですけど、田舎は都会との時代差が出るところで、2年ぐらいのタイムラグがあるように感じます。
そのときに私は「世の中の景気が悪くなっても、酒場が無くなることなんてありえない。歴史を振り返っても人は酒を求めていたから、大丈夫。」なんてことを言っていました。どこかで横柄な気持ちを持っていたんですよね。だから、この業界は数字は落ちてもなくなることはないぞって...どこかでタカを括っていたんですよね。
ま、いまとなって業界を離れている私がいうのもナンですけどね。
でも、店の存続はできないことがあっても、業界は無くならない。そんな気持ちが何処かにあったんです。
でも、時代の流れによる風習の違いがどんどん浮き彫りになってきて、それを知るようになって、その考え方はちょっと違うなと思うようになったんです。
ハイテクな時代になって、不便さが次々と解消されるようになって、やりたいなと思うことができるようになって...堪え忍ぶっていうことが少なくなってきてるように感じます。
昔は仕事は「ツラいのは当たり前」で、そのツラさを乗り越えるための場所が必要でした。その一つとして酒場があったんだと思います。
でも、いまは「ツラい仕事」自体が必要とされなくなってきていて、「楽しみを提供する商売」が注目されるようになっていて、提供する側の楽しさが注目されるようなっている、自分の行動や友達、知り合いの行動からそういったことを感じます。
となると、今までのような受け皿での状態だと必要とされなくなってしまうんじゃないのか。体勢を変えるのが必要なってくる、そういうことなんだと思います。
じゃあ、具体的にどう変えればいいのか?
その正解の定義は業界として考えるんじゃなくて、個々のやり方で出していかないといけないんじゃないかな。
そのために時代の流れを学ぶこと。
学んで自分の思考スイッチを変えていくこと。
日常に流されないこと。
そういったことが必要なんじゃないかな。
風習の違いに戸惑う人たちと立て続けにお話する機会があったので、そのときに思ったことを書いてみました。
結論を先に求めるんじゃなくて、とりあえずやってみる。
変化していくのにはそういうことが必要かなと思った次第です。
それでは、また。