個人を出した情報じゃないと個人に届かない。〜SNS活用のススメ〜
Facebook、TwitterのSNSサービスが始まって10年以上経ちました。
私はFacebookを始めてまだ5年ですけど...この5年の間に自分が見ている世界がどんどん広がりました。広がれば自然と行動も変わりますし、物事に対する捉え方もどんどん変わります。そして、その変化はとても楽しいもので、今までにない充実感もあります。
SNSをやるようになって本当に良かった。
そう思うことばかりです。(おかげで今の仕事にもつながってますしね。)
もともと私は昔気質なところがあって、「電話で用件を済ませるなんて以ての外!」とか「顔を合わせないと気持ちが伝わらない!」と考えている方でした。
確かにそれも大切なことだけど、それ以前にもっと大事にしなきゃいけないのは、お互いの気持ちを尊重し合う関係になること、そうなるような行動を起こすことなんだと思い直すようになりました。
これは、藤村正宏先生の提唱しているエクスマがあって、それを実践できるSNSがあるから気づけたことなんです。
エクスマの基本は商売の基本
エクスマの基本のひとつに「誰が」「誰に」「何を伝えて」「どうしてほしいのか」ということがあります。
このワンセットがあって商売が成り立つはずなのに、意外とこれが抜けてしまうんですよねー。
抜けやすいのが「誰が」「誰に」ってとこ。
「何を伝えて」「どうしてほしいのか」っていうことはスンナリ出てくるんですけどね。
これね、今までの販促物の作り方がそうだったせいもあるのかもしれないです。
そもそも、自分たちで自分の商売を紹介するってことに慣れていない。
自分がなんでその商売に一生懸命になれるのか、そういう事自体を考える時間を取っていないだけなんです。
自分を売るより、商品(モノ)を売ることしか頭にないから、そうなっちゃう。
(自分を売るって結構大事なんですよー。)
そもそも人気(にんき)商売にしたいのなら、人気(ひとけ)を出すのは当たり前のことですよね。
人は人にしか寄ってこないから。
自分のコトを出すのは嫌!って言っていたら、いつまで経っても人は寄ってこないし、選んでもらえないし、その存在すら知ってもらえなくなります。
商品の紹介だけでは人の感情って沸き起こらない。
人の感情に触れるから、感情が起こるし、そこに触れるから共感も起きる。
共感するから、そこに行きたい!、とか、その商品を使ってみたい!、同じように体験感情を受けたいと思うから、行動が起きるんですよね。
自分の行動で基本に還ってみる
これね、商売側ばかりにいたら思わないことかもしれないけど、自分で商売外の行動に当てはめてみたらわかります。
なんで、それを買ったのか。
何の目的でそこに行ったのか。
何をしたかったのか。
まずは、自分が「誰に」なってみるとわかると思います。
一回だけの利用になったのはなぜ?
何回も利用してしまうのはなぜ?
そして、自分の商売は一見さんだけ相手をしたいのか、それとも常連さんを増やしたいのか。そのためにはどんな人を相手にすればいいのか。
そうやって考えていくと「誰に」っていう、人物像を想像しやすいと思います。
人物像を想像できれば、その人に自分はどんなふうに接すればいいかってことがわかるはず。
接する回数が増えれば増えるほど、その人がどんなことを必要としているかがわかるので「何を伝えて」あげればいいかわかるし、それによって「どうしてほしいのか(どんな体験をしたらその人のためになるのか)」っていうこともわかってきます。
個人的交流が商売繁盛のもと
ただ、これらは一朝一夕ではできないことです。
相手とそうそう会う時間もないし、話し合う時間もない。
いきなり会って、自分を知ってもらって、相手のことを理解して、提供できることを提案して、買ってもらう、なんてできないですよね。時間をかけないと。
その時間をかけることができるのが交流を重ねるってこと。
時間や距離を埋めながら交流できるのがSNSの役目だし、可能な道具なんです。
SNSの使い方はとても単純で(デジタル音痴の私でも使えますもん)、アカウントを取るのも無料で、いつでも気軽に発信できるといったスグレモノです。
ただ、その優れた機能だけを見て、自分の好き勝手に発信したり、自分の言い分だけ通そうとしてもダメなんです。だって、SNSは直に受け取る人がいるものだから。
ダラダラと書き込んできましたけど、何が言いたいかというと...SNSはたんなる情報交換する場というより、楽しくなる情報をやり取りする場ということです。
楽しいという感情は人でしか表せないですからねー。
だからSNS活用に必要なのは、個人的な楽しさをどんどん発信するってことです。
さらには、自分自身の商売の楽しさをどんどん発信すれば、どんどん興味を持ってもらえるってこと。
個人を出した情報ってどんなことなんだろう。
ここで悩む人は案外多いんですけど、まずは自分が楽しいと思うことからやっていけばいいと思います。人が楽しんでいる姿は、見ている方も楽しいですから。
人は楽しいところに集まる。
これは今も昔も変わらないことですよね。
人を集めるためには、まず自分が楽しんでいることを表現していかないとですよね。恥ずかしがっていたらおいて行かれちゃいますよ。
長くなってきたので、今日はこのへんで失礼しますね。
それでは、また。
気持ちを言語化しないと相手には伝わらない。
こんにちは。
シモサワです。
SNSを使ったり、ブログを書くようになってから、気持ちを言語化することって交流していくのにとても大事なんだなって思うようになりました。
私ね、かなり大雑把なところがあって、特に会話するときなんか言葉を端折る事がしばしばありました。端折るし、挙句には擬音や擬態語ばかりで話しちゃって...話している本人としては表現したつもりになっているので、伝わったつもりになってしまうんですが、すり合わせてみると全く伝わっいなかった...そんなことが多々ありました。
自分でわかったつもりになって話してしまうから、そうなってしまうんですよねー。
ブログを始めた頃、気持ちはあるのに、その気持ちを表現する言葉が思いつかなくて、とても苦労しました。
自分で当時のブログを読み返してみると、書いた本人なのに「何が言いたいんだろう???」って思うくらいです(汗)
自分がわからないものは、他の人に通じるわけ無いですよねー。
自分が持っている気持ちや想いって、表現しないと他の人には通じないんです。
通じないし、伝わらない。
伝わらなければ理解されないし、共感もされない。
見て感じてくれ、雰囲気で理解してくれと言っても、そこまでヒマじゃないんですよね。
昔は目の前で起こることがすべてに通じていましたから、それでもよかったところはあります。
でも、いまは目の前以外のことも知ることができる時代。
いろんな人と知り合い、交流ができる時代なんです。
そこへ入っていくには、自分の気持ちを言語化する訓練も必要なんですよね。
SNSの操作は覚えて繰り返し使っていけば使えるようになります。
でも、使い続けるためには操作方法だけ覚えればいいってもんではなく、交流し続けるために自分自身を訓練していかなきゃいけないってことです。
デジタルを使うと言葉が表面化します。
その表面化させることにもっと慣れていかないとなんです。
自分の気持ちを素直に言語化する。
これもSNS時代に必要なことだって思っています。
SNSは恐ろしいモノと思っている人はまだまだ多い。
SNSが怖いと思っている人は「人の気持ちが怖い」とか「人の気持ちを受け入れる心の準備ができていない」んだと思う。
これ、そういう人もいるし、企業の体質も同じだなって。
ある飲み会で「ウチの会社はSNS投稿は一切禁止なんですよー。」って聞いたんですけど、SNSをやっている本人としては、もったいないなーって思っちゃうんですよね。
所属している会社の方針だから、そこは仕方がないんですけど。
でも、会社の方針で個人能力の芽をつんでしまっているってことにもなるんですよね。
個人の感想を出さない。
個人的な意見を封鎖する。
こういう方針が個人力なんか役に立たない、売上につながるのは商品力のみ!って思っているからなんでしょうね。
モノの魅力は商品力にある。
そういう考え方があるからなんだって思います。(これって、職人系にも多いんだけどね。)
でも、その考え方って、もう通用しないんですよねー。
その商品を持っていないと死んじゃうってこともないし、その商品を持っていないと社会に適合しないとか、デメリットがないんですもん。
商品主体で物事を見ているから、そこに気づかないんですよね。
いつの時代にも商品は使う「人」がいるからこそ、その価値を感じてもらえるし、「人」がいるから使う喜びを感じてもらえているはずなのにね。
商品の先には必ず「人」がいるんです。
「人」とつながることを最優先で考えてかないといけないのが今の時代に必要なことなんだって思うんですよね。
だからこそ、SNSというものができて、これだけ使用する人が増えているんだって思うんです。
商売の規模が大きいところは思考転換するのが鈍くなるけれど、商売の規模が小さいところほど、思考転換がし易いし、行動しやすいんです。それって、変化の時代のいま、ものすごい強みなんですよね。
便利な世の中って、小規模なところや個人に有利なことばかり。
個人対個人で商売ができる時代で、その個人向けのことが広がりを作る、そういう時代なんですよね。
大勢に対して何かしようと思っていたら効果が出ない。
確かに大勢に向けて何かするってことを考えるほうが手間がかからないし、お金さえ出せば労力も少なくてすむかもしれません。でも、それって、商品に対して責任感も薄くなっちゃうんじゃないのかな。
売れないのは世の中のせい。
売れないのは立地のせい。
売れないのは悪口を言われたせい。
誰かのせいにし易いですもんね。
個人対個人の商売をするには、まず自分の個人力を上げていくってことです。
個人力を上げるっていうのは、資格を取るとかスキルを上げるとかではなく、(もちろんこれも必要ですけど)まず、自分の周り、自分に関わってくれる人を受け入れること、そして自分自身をちゃんと見つめ直すことから始まります。
そうすると、人の気持ちに対しての恐怖心とか猜疑心がなくなるから、人と関わりやすくなっていきます。
人と関わるのが面倒とかいってたら、商売にならないですよね。
お客さんの顔色ばかり伺っていたら、疲れちゃいますよね。
楽しい!とか、嬉しい!っていうのは、人の気持ちに触れるから起こる感情なんですよね。じつはこれが商売する原動力になっている、そこにまだまだ気づけない人もいます。
SNSは楽しい!嬉しい!が広がっていくところ。
投稿する本人がその気持ちを持っていないと広がらないし、良さが実感できない。
そのためにはまず、今よりちょっとだけ視野を広げてみるといいと思います。
人の楽しさにちょっと乗っかってみる。
今日、楽しかったことを言ってみる。
そういった些細なことから始めるといいですよ。
とりとめのない話ですけど、人と関わることを恐れずにいてほしいなって思います。
それでは、また。
環境の変化を感じ取り、自らを進化させる心持ちを持つことが商売繁盛の秘訣。〜エクスマエレメントEより〜
こんにちは。
シモサワです。
若いとき、時間が経つのが遅く感じることが多くてもどかしさ満載だったんですけど、最近は時間の流れが早すぎてついていけなくなりそうな自分にもどかしさを感じるようになりました。
環境の変化によって、感じることって変わるんですよねー。
その変化に無関心にならないよう、むしろ敏感になれるよう、そしてそれを感じ取れるよう訓練したい。そんな意味も込めてエクスマセミナーに参加しています。
昨日は塾生限定セミナー、エレメントEでした。
笑いあふれる学びの場って、本当に楽しいです。
あまりにも楽しすぎて、居心地が良すぎるから、普段の日常とのギャップに戸惑うことも出てきちゃうんですけどね。
でも、これだけ通いつめていると、そのギャップをどうやって埋めていこうか、とかそもそもそこは気にすることなのか?とか、考え直すきっかけになるんですよね。
考え直して、修正して、行動して。
またそれを繰り返す。
私にとって、その指標になっているのがエクスマです。
個人の力を高めることが重要な時代
藤村先生は常に「個人の時代だよ」とおっしゃいます。
じゃあ、そのためにどうすればいいか。
何が必要か。
そういった話をいろんな視点でしてくださいます。
大人こそ、フットワークを軽くしなきゃいけない。
エクスマって、手っ取り早くできる手法とかを教えてくれるところではなく、そもそも自分は何を持っていて、何ができるのか、っていうことを見つめ直し、その矛先を自分で見つけるといった考え方を教えてくれる、そういう場なんだって思うんです。
だから、学びさえすれば良くなるってわけではなく、その学びを理解し、行動に移して、何かしらの結果に結びつける、そこまでやってこそ、勉強の成果になるってことなんですよね。
大人になるとなぜか行動力が鈍ります。
その鈍っていることを他の何かのせいにしたり、言い訳にしたりしちゃうんですよね。
でもね、環境の変化から逃げちゃいけないんですよ。
環境の変化に立ち向かってもいけない。
受け入れて、自分の身にしちゃわなきゃ。
大人の経験は頑固になるために培ったものではなく、知恵をつけ、時代と融合するため、進化する力をつけるためにするものなんじゃないかな。
最近、そういうことを強く感じます。
自分の経験は自分でしかできないもので、それがどんなことに作用できるのか、私自身まだわかりきれていないですけど、理解するにはもっともっと世の中を丁寧に見ていかなく必要があるんだな、そう思います。
#エクスマセミナー メモ
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月25日
数字を根拠にして動こうとすると後手に回ってしまうのが今の時代。予測で動くことが必要。勘で仕事する時代。
その為には物事を捉える感覚を研ぎ澄まし、敏感になることが必要ですよね。#エレメントE pic.twitter.com/HNPZudeOUV
#エクスマセミナー メモ
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月25日
SNS消費が増えている。インスタ映えなど、SNSに投稿するための消費が起きている。こういう盛り上がりは他人ゴトとせず、自分の店や商品では「どんなことができるか?」と考えてみること。「こんなことしたら面白いかも」がコツ。#エレメントE pic.twitter.com/ALykxMtCm0
#エクスマセミナー メモ
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月25日
思想、考え方を表現して経済を豊かにする人が「アーティスト」
SNSができたことで誰もが表現できる手段を手に入れたということ。
そう捉えてみるとSNSのチカラって計り知れないもの。どんどん使いこなさないと未来に置いていかれちゃうね。#エレメントE pic.twitter.com/6dV3y7EbUe
感じたままでは身にならない。
セミナーの話はいい内容ばかりだから感動するんですよね。
でも、感動したままの状態でいたらイカンわけですよ。とくに塾生としては。
内容とと自分の行動をいかにして掛け合わせていくか。そういうことを常に考えていかなきゃですよね。それがオトナの勉強の醍醐味ってモンです。
エクスマを実践し続け、自分の好きなことをどんどん広げている勝村かっちゃんの講演で、まだまだ自分に足りていないこと、躊躇していることがあるなって。
それを払拭していかないと自分の望む結果って、得られないんだなって。
とにかくやるのみ!ですよね。
#エクスマセミナー #エレメントE#サッカー馬鹿 のかっちゃんの話が楽しすぎたーーー!
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月25日
辛口トークだけど、SNSをより使いこなすにはぬるま湯に浸かってたらダメってことがめっちゃ伝わる。好きなことをやるって、カクゴを決めていかないとさ、カタチにならないよね。
やんぞーーー! pic.twitter.com/biFsxYmrAm
やり進めていこうと思いつつ、 何かしら障害が発生するのも当然なことですよね。
障害が出るとそこで意気消沈してしまいがちですけど、そこを乗り越えないと自分が望むことって実現しないですよね。
障害に負けるんじゃなくて、障害に対する自分の気持ちに負けちゃうと行動できなくなっちゃうってこと。
へこたれてては何も起きないままです。
って、コレ、自分に言い聞かせてますけどね(笑)
かっちゃんに元気を分けてもらえました♪
元気で笑い合える場だから、やんぞー!ってはりきれる♪
同じ場にいても思うことはそれぞれ。
でも、気持ちの姿勢は同じだって思うんですよね。
だから笑い合えるし、だから楽しい!
何がどう楽しいのか、それはリアルな場だからこそ感じられる醍醐味で、その楽しかった時間からまたいろんなヒントがもらえるんですよねー。
なにはともあれ、エクスマな時間は為になるだけではなく、楽しくなる要素が満載!
もっともっと極めていきたいな。
そのためにはもっともっと個人力を鍛えないと!
そんなことを思った1日でした♪
歳を重ねるごとに「カッコよく」生きたいなと思うのです。
先日、友達とのやり取りでこんなことを思ったんです。
ダサいセンスのままでいると生き方もダサくなるんだなと、ふと思った。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月20日
若いとダサいはカッコ悪いと思うから治そうとするけど、オトナはダサいとも気づかず挙句の果てには開き直って治そうとしなくなり、どんどんダサいことに磨きがかかっていく。
何がカッコ良くて何がカッコ悪いか。
基準が大事。
ダサいって、素直じゃないってことも含まれるんだなーって。
デリカシーのない発言をしていても、気づかないのってダサいなーって。
無理して格好つけることはしなくてもいいけど、ダサいのは一番カッコ悪い。
これは男でも、女でも同じだなって。
でね、私も気づかないまま、ダサいことをしているはず。ダサいのは仕方ないけど(笑)、気づいて直せるか直せないかが分かれ道だと思うんですよね。
なので、何がカッコよくて何がカッコ悪いのか。
ちょっと書き出してみました。
デリカシーが無いのはカッコ悪い。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月22日
さりげない気遣いができるとカッコいい。#何がカッコ良くて何がカッコ悪いか
その場限りの楽しさばかりを求めるのはカッコ悪い。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月22日
楽しさを膨らませてつなげていくほうがカッコいい。#何がカッコ良くて何がカッコ悪いか
ベタッとしているのはカッコ悪い。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月23日
シュッとしているのがカッコいい。#何がカッコ良くて何がカッコ悪いか
他力本願はカッコ悪い。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月23日
他人の力を借りつつ、自力で進む姿勢はカッコいい。#何がカッコ良くて何がカッコ悪いか
生生しいのはカッコ悪い。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月24日
情緒的なのはカッコいい。#何がカッコ良くて何がカッコ悪いか
気づかないままいるのもカッコ悪いし、
指摘を受けたまま開き直るのもカッコ悪い。
素敵な歳の重ね方をしていきたいから、カッコよく生きていきたいな。
そのためにはもっといろんなスタイルを知っていきたいな。
そんなことを思うのです。
虫の知らせってあるものですね。
昨夜、4年ぶりに電話をくれた人がいました。
でも、そのときは飲み会の真っ最中だったから、気づかなかったんですよね。
気づいたのは夜中で...とりあえずメッセージだけ入れておきました。
20年来の付き合いだけど、ここ数年は行き来がなかった間柄。
電話があった時間が夜遅くということもあって、ちょっと気になったんです。
折り返し電話してみると「病気なっちゃったよー(笑)」って。
あー、、、やっぱり。
そんな気がしてた。
さらには「電話するつもりはなくて、たまたま、かかっちゃったみたい。」だって。
私が心配すると思ってだったんだろうけど、「それは神様が連絡しろってやったんだよ」って言い返してやりました。
病状を聞くと、結構深刻で。
もう...嫌な予感しかしないんです。
たまたま明日から出張なので、今日中に会っておこうと慌てて行ってみたら、思ったより顔色が良くて...ちょっとばかり拍子抜けしちゃいました。
外科治療はできない状態だけど、内科治療が今のところ効いている様子。
もともと陽気な人なので、深刻な内容でも終始笑いながらの会話になっちゃってて。
本当は顔見ておける間に伝えたい言葉があったのに、それも言えずじまいで帰ってきました。
逆に言ってしまったら、終わっちゃうかもしれないしね...
20年前、私にゴルフを教えてくれたり、旅行する楽しさを教えてくれたり、夜遊びスポットに連れて行ってくれたり...この人と出会って、いろんな感動を教えてもらいました。
いつでも笑っていて、とにかく人を笑わすことばかりしている人で...ときどき、その能天気な姿勢に腹を立てたり。
でも、いつも陰で支えてくれてたし、気にかけてもらってたんです。
いつも顔を合わせると笑ってばかりだから、ちゃんと「ありがとう」と伝えきれてないんですよね。
今度はちゃんと「ありがとう」と伝えなきゃな。
たまたま操作ミスで電話がかかってきた一件でしたけど、このたまたまはきっと虫の知らせ的なものだと思います。
神様がきっとイタズラしたんだと思う。
ちょっぴり切ないけど状態を知ることができてよかった。
今日はそんなセンチな気分な日でした。
お店の雰囲気を伝えるにはお客さんに協力してもらうといい。
おはようございます。
2週間ぶりの出張仕事は気合いが入ります^^
佐久間町に通い始めて約2年経ちました。
年月を普段はそれほど気にしないんですけど、こうやってFacebookからお知らせが来て、それを見返してみると「このときはこうだったなー」とか「そうそう、こんなこともあったねー」なんて、さほど時間が経っていないのに懐かしく感じてしまいます。
ま、それだけ充実しているってことですね♪
売り込み発信は嫌われる
乗本さんの最初の頃の投稿は、売り込みっぽい感じが強かったんですよね。お店のメニューの紹介にしても、無理やり言葉を作ってしまっていたり、「ぜひお試しください」系の売り込み言葉で締めくくっていたりだったんです。
商品とかサービスをオススメするタイミングって、すご~く大事だと思うんですよね。
その商品やサービスに心が傾きかけているときにオススメの言葉を聞くと「なるほど!」って、理由ができるから欲しくなったり、行きたくなったりしますよね。
でも、そうでもないときに言われると気持ちが引いちゃったり、スルーしちゃったりなんですよね。
知ってもらう内容を絞る
「そうでもないとき」って、何も知らない状態でもあるんです。
知らないから興味がない。
ってことは、まず知ってもらうってことが大事なんです。
ここで大事なのが「何を知ってもらうか」と決めること。
私は床屋さんに行くことはないんですけど、お店をいう見方をした時に何を基準に選ぶか、ってことを考えてみたんです。
商品のラインナップや、サービスの内容って実際に見てみないと分からない。
だからそこは選択基準にないなーって。
その前段階で基準にしていることといえば、雰囲気なんですよね。
そのお店にいる人はどんな顔つきなのか。
そのお店に来る人たちはどんな人たちなのか。
お店全体の雰囲気はどうなのか?
床屋さんって、時間を拘束されるところなので居心地で判断すると思ったんです。
雰囲気がわからないと警戒しちゃうし、技術より自分と似た傾向の人が行っているんだってわかる方が親近感も出やすいかなって。
親近感がでないと、行く理由につながらない、そう考えたんです。
お店の雰囲気を伝えるにはお客さんに協力してもらうのがイチバン
「どんなお客さんが来ますか?」と聞いたら、年齢層は幅広いし、田舎の床屋さんだから家族総出で来てくれることもあるし、来店できない事情がある人には出張床屋もしているんですよね。
こんなに幅広いのは田舎ならではの強みだけど、言葉でくくりきれないんですよね。
だったらいっその事、毎日来るお客さんを紹介すれば伝わりやすいなって考えたんです。
それぞれのお客さんの事情に合わせて施術するのが床屋さんですよね。
癖や習慣を知っているから、そこに合った内容を提供できるんです。
それをそのまま投稿すれば、言葉で飾ることもないですし、無理な売り込み言葉も使う必要がありません。
写真って、便利なもので、そこに写っている人たちの顔つきでいろんなことを察することができるんですよね。
このお店が好きなんだろうな。
乗本さんと過ごす時間が楽しいんだろうな。
そういうことが瞬時に分かります。
お客さんの顔つきがお店の雰囲気を物語ってくれるんです。
あと、同じ写真枠に入ってくれるっていうのも、お客さんとの距離感が分かるんですよね。一緒に写っているだけで「仲がいいんだな」って。
やっぱり「継続は力なり」です
この投稿を乗本さんは2年間ずっとFacebookで続けています。
この投稿をベースにして、ブログ、Twitter、Instagramと発信の幅を広げていったら、県外からもお客さんが来てくれるようになって、人口の少ない佐久間町に貢献できるようになりました。
発信を続けてお客さんが増えたのはもちろんですけど、乗本さんが言うには「仕事は大変で厳しいもの」って思ってたのが、「仕事は楽しいこと」なんだって気持ちが変化したそうです。そして、お客さんと一緒に楽しめるのが自身の楽しみになっているんですって。これって、じつはお客さんのことが大好きだから言えることなんですよね。
大好きなお客さんに喜んでほしい。
お客さんは楽しみがあるからまた来店する。
商売の理想ですよね。
さて、喜んでもらえて終わりにするのではなく、この喜びをどう膨らませていくか。
次の課題はココ。
特別なことをするのではなく、日常を振り返るだけでアイディアって出てくるんです。
私はその振り返りのお手伝いをします。
今日はどんな内容になるのか楽しみです♪
私はこの毎回のミーティングが楽しいんです。
そして、仕事することが楽しいと思えるのは勉強するだけではなく、こうやって受け取ってくれるお客さんの存在のおかげなんです。
ではでは、行ってきまーす。
Twitterのハッシュタグを追ってみると人付き合いの幅が広がります。
こんにちは。
シモサワです。
今日のブログはTwitter投稿についてです。
Twitterは新しい人付き合いを見つけられる場ですけど、受け身状態では見つかりません。自分から動かないと広がっていかない、そういうところです。
Twitterのユーザー数は年々増加しています。
・国内月間アクティブユーザー数:3,500万人 ⇒ 4,000万人
(参照元と期間:2015年12月 から 2016年9月)
・月間アクティブ率:60.5% ⇒ 70.2%
(参照元と期間:2014年12月 から 2015年6月)
【最新版】2017年7月更新! 11のソーシャルメディア最新動向データまとめ より
ですが、自分からどう動いていいのか、その動きの目安はどうすればいいか、見当がつきにくいこともあります。
その目安として欠かせないのがハッシュタグです。
自分のツイートに動きをもたせることができるのが「ハッシュタグ」
Twitterはもともと140文字の文章投稿だけでしたけど、写真や動画も投稿できるようになって、その投稿内容をよりわかりやすくできるようになりました。
でも、ただ投稿するだけだと、人に関われないんですよね。
投稿したら、やっぱり見てもらいですもんね。
見てもらいやすくするためには、その投稿内容に対して興味ある人とつながるのがベストだって思うんです。
その内容をわかりやすくするためにハッシュタグが必要ってことなんです。
地道に広げるにはスタンダードなハッシュタグをつけると良い。
ただ、ハッシュタグって言葉遊びでも使われたりするので、理解しにくいってこともあります。
言葉遊びができたり、共通のハッシュタグが使えるのは、相手との関係ができているからで、関係ができていない状態でいきなり使っても広がらないんですよね。
よっほどインパクトがあるとか、影響力が高い人が使っているとかなら別ですけどね。
自分のコミュニティを作っていくには、地道な投稿が大事なんですけど、その地道な投稿にはわかりやすいハッシュタグをつけていくといいかなと。
私はコーヒーが好きで、カフェも好きだけど、喫茶店も好き。
お店の雰囲気を楽しむのが好きです。
コーヒーがある時間が好きって感じ。
他の人はどんなコーヒー時間を過ごしているのかな?
そう思って投稿を見に行きます。
でも、#コーヒー だと、思ったような投稿に巡り会えないんですよね。
いろいろ探してみたら、#珈琲 #喫茶店 だと、私がいいなと思う投稿が多くありました。
#カフェ巡り を使ってみたんですけど、もともとスイーツはあまり食べないし、このときはたまたま気分で食べただけだったから、ちょっと違うなって。
本日の #カフェ巡り はワッフルが美味しい古民家カフェ。サックサクだけどフワ感があるワッフルは甘過ぎずたまらなーい。コーヒーはさっぱりめのオリジナルブレンドでハンドドリップ。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月16日
美味しゅうございました(o^^o)#ATAGO#飯田市 pic.twitter.com/QS6kcB6qrH
これって、ハッシュタグを追って見るからわかることなんです。
つながりを広げたい、とか、好きなことの幅を広げたいなと思っているのならハッシュタグの活用は必須。でも、ハッシュタグをつけたらその「ハッシュタグを追っていく」習慣をつけないと広がらないんだよね。「〜好きな人とつながりたい」より「〜が好き」のほうがいいツイートに巡り会える確率が高い。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月19日
同じランチでもニュアンスでハッシュタグが変わってくる
ランチ投稿でも、手作り派と外食派では違いがありますよね。
手作り派は
#今日のランチ
#おうちごはん
#お腹ペコリン部
外食派は
#今日のランチ
#メニュー名(カレー とか)
#サラメシ(サラリーマン飯の略語)
みたいに違ってきます。
花投稿
花がある投稿では
#花
#景色
といった単語系が良かったりします。
本の投稿
本の投稿の場合、#読書好きな人と繋がりたい より、
#読書
#本が好き
のほうが、その本の魅力がわかりやすい投稿が多かったです。
これは私の好みに合う投稿に出会えたっていうだけなので、これが正解っていうわけではないんですけど、こうやって追ってみることで工夫のヒントに出会えますよ〜ってことです。
ハッシュタグつけていはいるものの、思うような広がりを感じないっていう方はこうやってハッシュタグを追ってみたらいいと思います。
それでは、また。
仕事を作業的にしていたら、いつまでも仕合せには結びつかない。
こんにちはー。
シモサワです。
長い夏休みも、過ぎてしまえばあっという間ですねー。
休みなんてヒマすぎて死んじゃうんじゃないかって思っていたんですけど、ヒマでも時間は過ぎていってしまうもので...アレやろう、コレやろう、と思ったことがほとんどできずに終わりました(涙)
ちょっともったいないことをしたなー、なんて思いながら今日のブログの更新です。
仕事のあり方を考えるようになったら、モノの見方も変わってきた。
私がエクスマを知って考えるようになったのは「仕事の在り方」について。
何のためにその仕事をするのか?とか、その仕事で誰が喜んでくれるのか?とか。
その仕事を受け取ってくれる人のことを考えるようになったんです。
もともと接客業をやっていた私にとって、「仕事はお客さんのためにするもの」という考えはあったんですけど、そのためになるって言うこと自体が自己満足に走っていた部分があったんですよね。
「これはこの人に絶対必要だから!」ぐらいの意気込みで押し付けちゃっていた感じね。押しの強さが商売人には必要だから!そんな勢いで仕事をしていた時期もありました。
でも、自分の思い込みでしていることって、仕事ではないんですよね。
仕事というよりは「作業」になっちゃうんです。
思い込みって、自分だけが良いと思ってやってしまいがちで、本当にそれは望まれていることなのかどうかってことを確認しないままで進めていっちゃうんです。
仕事には作業も必要ですけど、「何のためにその作業をするのか?」っていうことをちゃん考えていかないと仕事に繋がっていかないんですよね。
企業目線は作業になりがち。顧客目線は仕事に繋がる。
あるときの発信ミーティングでの出来事なんですけど、話し合いの中でこんな言葉が出てきました。
「企業目線でいるから作業になっちゃうんだね。」って。
この言葉を聞いて、私も思わず「そうそう、そうですよねー」って。
売り手都合主体で物事を進めていこうとするから、お客さんと気持ちが合わさっていかないんですよね。合わさってないままやるから、楽しいとか、嬉しいという感情も起きないまま淡々と進めてしまう。
感情が起こらないのは作業になっちゃうんです。
感情が起きてやることと、起きないままやるのって、同じ動作でも中身が違ってきます。質が違うんです。
感情が起こると工夫しようっていう気持ちが出てきます。
その工夫は相手ごとに変わってくるし、その工夫が喜ばれる原因になったりもするんです。
喜ばれるって、やりがいが出ますよね。
やりがいが出るから、楽しくなる。
仕事のやりがいを感じるために、感じる力を身につける。
仕事に対するやりがいって、今までは達成感で感じる人が多かった気がします。数字とか、目に見えることにやりがいを求めていたんじゃないかな。
でも、見えないけど感じることのできる、気持ちの部分にやりがいを感じるようになることも、今の時代は必要だって思います。
目に見えることばかりを追わず、感じる力を身につけること。
これをちゃんと考えると自然と仕事が楽しくなるから不思議です。
仕事が楽しいって、深く物事を考えるってことでもあるんじゃないかなって思います。
エクスマセミナーに行ったり、藤村先生のブログやSNSの投稿を見るのは、感じる力をもっと鍛えたいからってこともあるんです。
感じる力を鍛えると、楽しいって思うことがどんどん増えるから♪
いろんなことに興味を持ち、ちゃんと考えてみる。
人に関心を持つと、結局自分の感覚も豊かになっていうんだなっていうことを日々感じています。
感じたことを作業に反映させていく。
それが自分の仕事になって、自分の仕事が仕合せに繋がる、そういうものだと思うから、今日もまた頑張ろうっていう気になります。
なんにしても、仕事って楽しい♪
そんなことを思うこのごろです。
それでは、また。
“間”を読めるとコミュニケーションしやすくなる。
こんにちは。
シモサワです。
スナック時代、“間”が空くことがなんだか嫌で、会話でも時間でも間を詰めていたことがありました。その当時、それを意識していたわけではないんですけど、振り返って見るとそうだったなって思うんです。
間を埋めるのが良いときもあれば、間を空けたほうがいいときもある。
それは相手によってなんですよね。
だから一概にそうした方がいいってことはないんですけど。
それに気づいたのはつい数年前。
友達たちとお茶しているときに会話が途切れて、間ができたんですよね。いつもなら「何か話題を振らなきゃ」って内心焦るんですけど、その友達たちと過ごすこの空気感を感じてみようと、敢えて話題を考えず、その空気感に浸ってみたんです。
そしたらね、またそれが心地よくて。
間を置ける間柄って、なんか心地いいな。
そう思ったんです。
間を詰めるばかりでは疲れちゃうかもしれないし、そもそも相手を疲れさせるためにいっしょにいるわけじゃないし、お互いのペースを尊重するといった意味でも間は必要なんだなって思ったんです。
ときには間を詰めたほうがいいときもあります。
でも、敢えて間を空けるのも大事。
そのためには間を読むってことが必要なんですよね。
で、何を基準に間を読むのか。
私は目の動きだったり、手の動きを基準にしていたんですけど、それはただ流れに乗るだけで、オチをつけるまでには行き着かなかったんです。
そんなときに出会った本が、ビートたけしさん著の「間抜けの構造」でした。
たけしさんの喋り口調で書いてあるから、読むというよりは話を聞いているような感じになって、とても読みやすいです。思わず「へー」とか「ぷっっ」って笑えるエピソードもあって、楽しみながら読めます。
私ね、本も漫画も繰り返して読む癖があって、またこの本を読み返してみたくなりました。繰り返して読むと思うことも違ってくるし、やっぱりそうだよね、って確信できることもあります。
【いかに相手の“間”を外すか-スポーツ・芸術の“間”】
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月18日
それはスポーツに限った話じゃなくて、“間”がいいやつは、常に自分を囲んでいる状況を客観的に見ることができるという話である。#間抜けの構造 より。
自分を客観的に見ることは、自分の間を作ることができるってことで、自分の間があるから人を惹き込めるってことなんでしょうね。
【討論の“間”を制するための技術】討論のときにどこで話に入っていくかというのは縄跳びに入っていくタイミングを見極めるのと同じで、それが上手い人と下手な人がはっきり分かれる。上手い人は相手が呼吸するタイミングで入ってくるよね。その呼吸の間合いを読むのが上手い。#間抜けの構造 より
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月18日
間は呼吸のタイミングでもありますよね。
「勉強できない」というやつは結局、「勉強の仕方がわからない」わけだろう。つまりどこを重点的に勉強するか、その力の入れ方がわからない。(中略)たいていやり方が間違っている。そこに力を入れても意味ないだろう、というところに力を入れている。#間抜けの構造 より
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月18日
間は空気感だけではなく、物事のポイントにも通じること。
職人とアートとは違うんだって。
— 下澤 美香・街の社長の家庭教師 (@itan6053) 2017年8月18日
アートというのは、職人芸からの解放なんだ。それができるのが芸術家。ところが職人というのは、自らの職人芸でアートを封じ込めるという。その戦いというか、しのぎ合いみたいなところがあるんだよ。#間抜けの構造 より
前半で一番なるほどなって思った部分。
職人芸とアートとは違う。でも、この違いがまだわからないんですよねー。
なにはともあれ、間を意識してみると、今まで気づかなかったことにも気づけるようにもなります。感覚を育てるって、間を知ることからなんじゃないかな。
なかなか奥の深い“間”の世界。
意識しながら見ていこうと思います。
それでは、またー。